今月の法話 2024年5月

偽物を本物と見間違う私の眼

 ブランド製バックのコピー商品が出回っていて、一見しても専門家でなければ中々わからないそうです。しかし本物と比べるといろいろな違いがあるそうで、いくら精巧に作られたコピー製品でも本物と比べると、偽物だという事がわかるという事です。
 さて、宗教の場合はどういうことなのでしょうか。
親鸞聖人は宗教を「真・仮・偽」の三つに分類されておられます。「真」とは真実の宗教で浄土真宗の事です。次に「仮」とは真実の宗教に誘引するための手立て・方便としてのもの。最後に「偽」とは本物らしくっているもの、という事です。
 大安吉日の週末はホテルや結婚式場が大賑わいと聞きますし、友引に葬儀をしないのも相変わらずです。病気平癒、家内安全、合格祈願、良縁祈願、交通安全とありとあらゆる願い事が仏教や神道として世の中に蔓延し、多くの人々がそうしたことに執らわれ、振り回され、挙句の果てにカルト宗教にはまり込んでいく人も少なからずいます。そうしたものを親鸞聖人は「偽りの宗教」として退けておられました。
 私が若い頃よくご門徒の方から「お寺さん、門徒もの知らずというから、わしらは教えの事について何も知らなくても良いんだよね?」という事を度々言われたことがあります。「門徒もの知らず」とは本来、「門徒物忌み知らず」という言葉が変形して、意味さえも変形したものです。古代から近世以降まで、気象の事はよく改名されていないし、医療も十分ではありませんでした。ですから病気や天災・飢饉のときには神仏に祈祷をして、何とか解決を図りたいと思った事でしょう。
 しかし、親鸞聖人の教えを実直にいただいた人々はそうした時代にあっても、占いや加持祈祷をしなかったのです。また、「赤不浄・黒不浄」のように、お産や死を不浄のものともしなかったのです。そうした生き方を他宗の人々は奇異に思い、「門徒(真宗)の者たちは、占いや加持祈祷をしない、穢れという観念も持たない、もの忌知らず」と呼んでいたのです。 
 親鸞聖人は

かなしきかなや道俗の(悲しいことですが僧侶もそうでない者も) 
良時吉日えらばしめ(日の吉凶に執らわれて)
天神地祇をあがめつつ(天の神・地の神を崇めて)
ト占祭祀つとめとす(占いや祭祀をしています)
   「愚禿悲歎述懐和讃」

と嘆かれておられました。
 偽の宗教と見抜くには真の宗教(浄土真宗)を知らなければなりません。仏教(浄土真宗)は因果の道理をわきまえつつ、占いや日の吉凶、穢れ観や差別に執らわれない、自立(自律)した人生を自分の手で切り拓く道を歩むことを教えています。

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