不安を抱えながらも「有難い」と手を合わす人生
鈴木章子さんは斜里町にある真宗大谷派(お東)の西念寺というお寺の坊守さんでした。お寺で運営する幼稚園の園長として、四人の子どものお母さんとして妻として、文字通り八面六臂の活躍をされていました。ところが四十二歳の時乳ガンの告知を受け、転移したガンのため肺の切除など、四十六歳で亡くなるまでの四年間、死と向かい合う苦しい闘病生活の中、念仏の教えを聴聞し、「いのち」とは?人間としての生き方とは?を問い続けたのでした。健康な時は感ずることのなかった、自分を生かさしめる大いなるいのちの世界を感じて、残りの人生を阿弥陀さまと共にある喜びと共に生き抜かれた方でした。
鈴木章子さんのお兄さんは大谷大学元学長の小川一乗先生で、以前研修会の講師としてお招きをした事がありました。その折に、「妹は病を得て、随分と悩み苦しんでいましたが、変わったのです。自分の病と死を受け入れた時に阿弥陀さまのお慈悲の世界に生きる安らぎを頂くことが出来たのです」、と語っておられました。
その鈴木章子さんが病気を得てから折に触れて書き残したのが次の詩です。
変 換
死にむかって 進んでいるのではない
今をもらって 生きているのだ
今ゼロであって 当然の私が 今生きている
ひき算から 足し算の変換
誰が教えてくれたのでしょう
新しい生命 嬉しくて 踊っています
いのち 日々あらたなり
うーん わかります
私達は明日をも知れぬ命のただ中に生きています。今年の元旦、親族や親しい人達と新年を祝っていた能登の人々は、突然の地震によって多くの方々が命を失くしました。一体誰が予測した事でしょう。いつ死ぬかわからない「ゼロの私」が今をもらって生かされている喜びを詩にされています。
おやすみなさい
「お父さん 有り難う また明日 会えるといいね」と
手を振る。
テレビを観ている顔をこちらに向けて
「お母さん 有り難う また明日会えるといいね」と
手を振ってくれる。
今日は一日の充分が、胸いっぱいにあふれてくる。
病が進んでいる状況の中で、「一度自宅に帰りたい」という本人の意向を受けて、札幌の入院先の病院から自宅に戻って来られた時の想いを詩に託しています。重篤な状況には変わりなく、明日も目が開くとは限らない状況下での詩です。
大切な人と一緒に過ごす事がどれだけ嬉しく、有り難い事か。ただそれだけで大きな大きな喜びを頂く人生を、病の中で不安を抱えながらもお念仏と共に人生を昇華(しょうか)された方が鈴木章子さんでした。
こうした方々の生き方に学び、さまざまな不安を抱える私達もまた、「いつもあなたと共にいるよ」とはたらき続けて下さる阿弥陀さまと共なる人生を、お念仏申しながら生きてまいりましょう。
印刷用PDFファイルはこちら
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード