今月の法話 2024年1月

あなたの声に導かれ あなたと共に歩む

 砂漠や雪原などの何の目印のない広い場所を自分の感覚だけで真っすぐ歩くと、200メートルくらい行けば5メートルぐらいずつ、その人の利き手の方に曲がっていくそうです。ですから歩めば歩むほど、ぐるーっと回って元いたところに戻る、これを循環彷徨というそうです。
 仏教では「六道輪廻」という考えがあります。
地獄(我利我利亡者と鬼のいる争いの世界)
餓鬼(満足を知らない存在)
畜生(己を省みることのない存在)
修羅(争いの絶えない世界)
人間
天上(自分に有頂天になっている天人の住む世界)

 を言います。このような存在や世界は決して死後の事ではなく、今私達の生きているこの世の事ではありませんか!? そのような世界の極致をウクライナやガザの戦争において私達はみることが出来ます。そして、この六道に連なる、いや、時によっては六道そのものに落ちているのが私自身の姿ではないでしょうか。そのような生き方を仏教で六道輪廻と言ます。「自分は人生を真っすぐ歩んでいる」と思い込んでも、結果的に六道という迷いの世界をぐるぐるとへめぐる事になってしまうのです。そうした迷いから抜け出すことを目指すのが仏教です。
 「仏法とは仏の教えのことですが、いまお前さんはどこにいる? と教えてくれる一枚の地図だと思います。人生にも、一枚の地図が必要です。仏法という地図は世界で一番精巧で、正しい地図だと私は聞いています」、と語ったのは司馬遼太郎です。
 その地図が私をして「迷っている」と気づかしめてくれる、その気づかせて下さるはたらきを“仏法(=如来)”と呼ぶのです。阿弥陀仏(=如来)は私を離れてどこか遠い清らかな世界にいるのではなく、迷いのただ中にある人生(六道)を輪廻しているこの私が心配で、いつもよりそって下さっているのです。
 明治の初期に仏教精神に根ざした女学校(京都女子大学)を創立し、生涯を女子教育に捧げられた甲斐和里子という方の詠んだ歌に、

み仏を呼ぶ わが声は 
み仏の われを呼びます み声なりけり

 があります。ナンマンダブツとみ仏を呼んでみたけれど、それは迷いの人生を歩む私を放っておけないという、阿弥陀さまの呼び声だった、という味わいです。
 阿弥陀さまの呼び声に導かれ、人生の地図を片手に人生を歩んでまいりましょう。

印刷用PDFファイルはこちら
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード

法話バックナンバー