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浄土真宗の法名の釋とは、宗祖の親鸞聖人が自らを『釋親鸞』と名乗られておられます。お釈迦様(釋迦牟尼仏)の一族を略したものです。ですから、釋とは、お釈迦様の仏弟子にさせて頂いた事の意味なのです。
ローソクや線香はお参りするときのみ使用します。浄土真宗の教えは往生するとすぐ仏様に成る教えですから、ローソクや線香を絶やしたからといって故人が往生できないということはありません。
問題は「お参りをおろそかにしない、しっかりみ守って葬儀をしましょう」との意が強調された事であります。我が親なればこそ、我が子なればこそ自ずとそうせずにはおれない気持ちではないのでしょうか?
問題は「お参りをおろそかにしない、しっかりみ守って葬儀をしましょう」との意が強調された事であります。我が親なればこそ、我が子なればこそ自ずとそうせずにはおれない気持ちではないのでしょうか?
一般に葬儀とは、『故人を弔う儀式』であり、もう一方の告別式は、『故人に最後の別れを告げる』儀式です。本来、葬儀と告別式は、目的も意味も違う別々の儀式です。浄土真宗では、葬儀と言う言葉を用います。浄土真宗の葬儀とは、遺族や有縁の者が集まり、故人を偲んで、阿弥陀如来様のお心を聞かさせていただき、共々に仏縁に遇わせて頂く大切なご縁が葬儀の意味合いです。
世間には、葬儀にまつわる、色々な風習や世俗の迷信あるいは、俗信がありますが、それらに振り回されないように本来の正しい浄土真宗の葬儀を行いたいものです。
世間には、葬儀にまつわる、色々な風習や世俗の迷信あるいは、俗信がありますが、それらに振り回されないように本来の正しい浄土真宗の葬儀を行いたいものです。
よく「亡くなった方が好きだったから…」とお供えをされる方がいらっしゃいますが、浄土真宗のお供えは亡くなった方のためのお供えではありません。命をいただいていましたと阿弥陀如来様にご報告し、お下がりをいただくわけであります。「おかげさまでいただけました」という思いで、お供えさせて頂きましょう。
ご本山の法要では鏡餅・小餅・落雁・羊羹・紅梅糖・山吹・銀杏・紅餅・饅頭・州浜・巻煎餅・昆布・湯葉・蜜柑・栗・柿などをお供えしています。
ご本山の法要では鏡餅・小餅・落雁・羊羹・紅梅糖・山吹・銀杏・紅餅・饅頭・州浜・巻煎餅・昆布・湯葉・蜜柑・栗・柿などをお供えしています。
葬儀で火葬場から帰ってきて、身を清めるため塩を使う風習がありますが、浄土真宗では用いません。神道では神が死を忌み嫌うということから、神棚に白い布や半紙などを掛け、塩を使い身を清めることをしますが、浄土真宗では亡くなった方を「けがれ」とはしません。お念仏をいただいた故人はご往生されて仏様になられ、私たちに尊い仏縁を下さった方と慶ばせて頂きます。
浄土真宗では、『喪中期間』はありません。「喪」とは死亡した人を追悼する礼。人の死後、その親族が世をさけて家に籠り、身を慎むという意味で理解されています。「喪」とは本来哀しみの中にあってその心を癒していくという意味がありましたが、それと同時に「喪中につき神社参拝を憚る」という「穢れ」意識とも結びついていきました。浄土真宗では、身近な人の死を通して大切なご縁として阿弥陀如来様の願いに出遇わさせて頂きましょう。
お仏壇とは文字通り、仏さま、すなわち、ご本尊である阿弥陀仏をご安置する壇であります。ちょっとしたことにこだわり、悩み、自分を見失いがちになる私をしっかりと抱きとめて、けっして崩れることめない安らぎを与えて下さる阿弥陀仏です。
お仏壇は、そうした私の心の依り所となり、家庭の精神的基盤となって下さる阿弥陀仏をご安置するために設けるのです。従ってお仏壇は、いつも清潔に気持ちよく整えておかねばなりません。
お仏壇の大小により一概には言えませんが、その第一歩はそれぞれの仏具を定められた所に、きちんと置くことでしょう。
次に不用なものを置かないというのも大切です。例えば、他宗の仏像や祖師像とか、ご祈祷札やお守り札などです。これらは浄土真宗のお仏壇にはふさわしくありませんので、一度住職にご相談下さい。
「信は荘厳より生ず」という言葉がありますが、それは「お荘厳」(美しくお飾りすること)の作法によって如来さまのご本願を聞き、それがすなわち信心を深めていくことになる」ということだと思います。
先ずはお仏壇の整理整頓、そして美しく荘厳することから始めましょう。
お仏壇は、そうした私の心の依り所となり、家庭の精神的基盤となって下さる阿弥陀仏をご安置するために設けるのです。従ってお仏壇は、いつも清潔に気持ちよく整えておかねばなりません。
お仏壇の大小により一概には言えませんが、その第一歩はそれぞれの仏具を定められた所に、きちんと置くことでしょう。
次に不用なものを置かないというのも大切です。例えば、他宗の仏像や祖師像とか、ご祈祷札やお守り札などです。これらは浄土真宗のお仏壇にはふさわしくありませんので、一度住職にご相談下さい。
「信は荘厳より生ず」という言葉がありますが、それは「お荘厳」(美しくお飾りすること)の作法によって如来さまのご本願を聞き、それがすなわち信心を深めていくことになる」ということだと思います。
先ずはお仏壇の整理整頓、そして美しく荘厳することから始めましょう。
位牌は、そもそも中国で『官位や姓名を気の札に書いて神霊に供える』と言う意味合いを持っており、仏教とは全く関係がないしきたり(儒教のしきたり)が日本に伝わったものです。ですから浄土真宗本願寺派(お西)では、位牌ではなく過去帳、又は法名軸を使用します。
お寺に相談して、過去帳に法名を書き換えてもらってお仏壇へ安置して頂く事をお薦めします。
お寺に相談して、過去帳に法名を書き換えてもらってお仏壇へ安置して頂く事をお薦めします。
浄土真宗のお供えは決して亡くなった方へのお供えではありません。私たち衆生を必ず救うと仰ってくださる南無阿弥陀仏への感謝のお供えなのです。亡くなった方が喉が渇いて飢えているなどと心配するのではなく、おかげさまという思いでお供えさせて頂くのが浄土真宗のお供えであります。
また、仏説阿弥陀経の中に、『有七宝池八功徳水』(お浄土には七宝の池があり、八つの功徳に満ちたお水がある)と出てきますが、これは私たちの生きる娑婆世界のお水をお供えしなくても、亡くなった方々はお浄土で清らかなお水を頂いてますよということなのです。
また、仏説阿弥陀経の中に、『有七宝池八功徳水』(お浄土には七宝の池があり、八つの功徳に満ちたお水がある)と出てきますが、これは私たちの生きる娑婆世界のお水をお供えしなくても、亡くなった方々はお浄土で清らかなお水を頂いてますよということなのです。
施主さんがどの宗教の宗派を信仰し、自信をもって、このご本尊様を奉っていますという気持ちが大切であります。例えば、ご兄弟で同居されていて違う宗教である場合などですが、気にせず置いていただいてもかまいません。ただし、よく見かけられますのが、神棚と仏壇(神教と仏教)が一緒に奉ってあるお家があまりに多いということがあります。信仰している宗派の教えをただ一筋に信仰することが仏教のどの宗派にもいえることでしょう。
本来、仏壇(阿弥陀様)の上を歩くのは失礼であろうと思いますが、現代の住宅事情(一軒家・マンション)を考えてみましたらお仏壇の上を平気で歩いている生活をしています。ですが、止むを得ない事とは思います。ですから、お仏壇の上を歩く時は、あなた自身の胸の内で、一言、阿弥陀様へ断ってから歩いた方が良いでしょう。
まずはお手次ぎのお寺さんに相談し、永年お世話になったお仏壇に感謝の気持ちで最後のお勤めをしていただきましょう。その後はご購入されたお仏壇店、又はお炊き上げを行っている業者などに相談されるのも良いでしょう。
お寺の場合阿弥陀様を移動するときは、ご遷座法要といいましてお参りを致します。
ご家庭の引っ越しでお仏壇は不要になったり、引っ越しする場合、永年お参りさせていただいたお仏壇に、感謝の気持ちでお参りしましょう。
ご家庭の引っ越しでお仏壇は不要になったり、引っ越しする場合、永年お参りさせていただいたお仏壇に、感謝の気持ちでお参りしましょう。
浄土真宗のお経は、今、生きている私達に向けてお釈迦様や親鸞聖人が説いて下さったご法話です。ですから、地域やお寺によって多少の違いはあるでしょうが、ご法事・通夜・葬儀等の法要においてのお経(おつとめ)は、だいたい決まっております。
線香はお浄土のお飾りの一部であり、時と所の不浄をすべて清めるとされています。お浄土の香りというのはどういうものかというと、「清浄香潔」という言葉がお経に出てきます。お浄土の清浄な香りを表現するために香を用いているのです。他宗派では線香を立てるところがありますが、浄土真宗では何故寝かせるのかというと、線香とは別の常香盤というものを用いていたことに由来しています。
本山では現在でも常香盤を使用していますが、粉(燃香)を使い香炉の中の灰に型を使い凹部を作り、粉を入れて使用しているそうです。本数は一般的には1~2本ですが、正式には各宗派で異なります。浄土真宗では常香盤を起源としているので線香を適当な長さに折って火をつけ、香炉に横に寝かせます。
本山では現在でも常香盤を使用していますが、粉(燃香)を使い香炉の中の灰に型を使い凹部を作り、粉を入れて使用しているそうです。本数は一般的には1~2本ですが、正式には各宗派で異なります。浄土真宗では常香盤を起源としているので線香を適当な長さに折って火をつけ、香炉に横に寝かせます。
浄土真宗本願寺派のお焼香は1回で結構です。
お焼香の手順は、
お焼香の手順は、
- まず香炉の手前に立ち一礼し
- 一歩前に進み
- 香をひとつまみして
- 押しいただかずにそのまま香炭(線香)の上に乗せます
- 合掌、礼拝し
- 一歩下がって
- 一礼します
キンを打つ時は、お経を称える時のみです。例えば、普段、皆様方が朝夕のお勤め(正信偈等)をされる時は、初めにキンを2回打ちます。そして、お経の最後には、3回打つ決まりがあります。
ですから、普段お仏壇の前で合掌・礼拝する時もキンを打つ必要はありません。
ですから、普段お仏壇の前で合掌・礼拝する時もキンを打つ必要はありません。