賜りもののいのち 賜りものの人生
私の父は一九〇九(明治四二)年島根県で生まれ、大学を卒業後、昭和初期に歌志内の父の叔父の寺に養子で入寺しました。当初、叔父の長女と結婚しましたが伴侶が半年で病死したため、その妹と再婚したのでした。それが私の母なのです。両親は十一人の子宝に恵まれましたが、一九四五(昭和二〇)年を境にした七年の間に五人の子供達が乳幼児の時に結核や栄養失調で亡くなっています。
私が大学生になって初めて帰省したある夜、母が改まった面持ちで「お前に話がある」と切り出しました。「お前を身ごもった時、とても貧しかった。すでに五人の子供達がいて生活は大変だった。だからお前を堕ろそうと思って、隣町の産婦人科病院に堕胎手術の予約をしていたんだ。いよいよ明日が手術の日だな…、そんなことを想いながら縁側でぼんやりしていると、隣家のおばあちゃんが私に話しかけてきた。『奥さん奥さん、今は大変かもしれないけど産んでおきなさい。産んで育てなさい。後で必ず産んでおいて良かったな…、そう思える日がくるから』。そう語りかけてきたんだ。私はおばあちゃんに病院の事は言ってないんだけど、女同士の感でそう思ったんだろうね。私は何と恐ろしいことを考えていたんだろう。もう少しでお前を殺めるところだった。許してくれ。ずーとすまない思いを抱えてきて、お前が成長したらこの事を話してお前に謝らなきゃならないと思っていたんだ。どうか、許しておくれ」。涙ながらに述懐をして床に手をついて私に謝りました。その光景が今も瞼(まぶた)に焼きついて離れませんが、母はよく本当の事を話してくれたなと思います。
〈いのち〉とは誠に不思議なものです。さまざまなご縁が重なって重なって一つの〈いのち〉がこの世に誕生するからです。私の叔母が亡くならなかったら、父が戦死していたら、
兄姉達が亡くならなかったら、隣家のおばあちゃんが母に語りかけなかったら…。どれか一つの事が無かったら私は間違いなく生まれていなかったのです。まさに〈いのち〉は賜りものであり、人生も賜りものであったのです。
ご縁思えばみなご縁 ご縁で才市はできました
妙好人の浅原才市さんの創られた歌です。自分の思いで生まれたのでもなく、生きている訳ではない。全てのご縁がこの才市をここに在らしめるはたらきとなって下さった、という深い味わいです。こうした世界を仏教で“縁起と無我”と言います。そして、「あぁ、そうであったな」という深い頷きと目覚めを呼び起こすはたらきが阿弥陀さまのはたらきであり、阿弥陀の光であります。私たち一人ひとりも阿弥陀さまの光に照らされる中に、〈賜ったいのちと人生〉であったと喜べる人生を歩みたいものです。
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