お見舞い
新型コロナウイルス感染症により多くのお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。また、罹患されている皆さまに心よりお見舞い申しあげます。そして高い感染リスクにさらされながらも、日夜、懸命に治療・対策にあたられている医師や看護師をはじめ医療に従事されている多くの方々に深く敬意と感謝を申し上げます。
札幌組は、全国的な緊急事態宣言を受け、感染拡大防止のため行事等縮小の対策を講じることとなりました。門信徒を含め多くの皆さまにはご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申しあげます。
なお、各寺院の詳細な対応につきましては、それぞれの寺院にお問い合わせくださいますよう、お願い申しあげます。
札幌組組長 石堂了正
今月の法話 2025年11月
正しいものに遇い 正しくない私を知らされる
高級ブランド品の偽物が今でも結構出回っているという事です。高級ブランド品だと思って買ったら実はコピー商品だったなんて、後で分かったらガックリくるでしょうね。偽物と分かるには本物に比べてここが違うという箇所を見つける必要があります。本物があって、初めて偽物だということが分かりますよね。宗教もそれと同じです。「これが本当の宗教だ。これで私は救われる!」と思っても、お金をある宗教のように過剰な寄付を求められ、家族崩壊という例は少なからずあります。偽の宗教と分かるには本当の宗教に出遇わなければなりません。
親鸞聖人は宗教を「真・仮・偽」の三つに分けられました。
現代でも大安吉日に結婚式を挙げる人が多いようです。では大安吉日に結婚式を挙げれば、全ての人が災禍から逃れられ幸福になれるのでしょうか。大安吉日に結婚しても伴侶を裏切り、自堕落に生きたならば周りはもとより、結果的に本人も不幸になります。方角の吉凶もしかりです。親鸞聖人は日の良しあしや方角の吉凶に振り回されている姿を
悲しきかなや道俗の
(悲しいことに、僧侶も世俗の者たちも)
良時吉日えらばしめ
(良い時・良い日にとらわれて)
天神地祇をあがめつつ
(天の神や地の神をあがめつつ)
ト占祭祀つとめとす
(占いや祈りごとに余念がありません)
「親鸞聖人 正像末和讃」
としてそうしたものを偽の宗教とし、しりぞけられました。
仮の宗教とは真の宗教に誘引するためのもので、具体的には自力の宗教をいいますが、煩悩具足のこの身にはとても成就する事はかなわないと、これもしりぞけられました。
花や実がなるには種が無くてはなりません。しかし種を床の上にまいても実にはなりません。そこに必要なのは土と水と光です。それらが有りすぎても無さ過ぎても実りはなりません。光が有りすぎると日照りになり、無さ過ぎても実や花は育ちません。水もしかりです。ですから種(因)・土水光(縁)・花や実(果)の「因縁果」という道理でこの世は貫かれていると考えるのが仏教なのです。縁を今の言葉で表すと条件ということになります。つまり、原因があり、条件がどうなるかによって結果がもたらされるという考え方です。自分にとって都合が良くても悪くてもなるようにしかならないのです。親鸞聖人はこうした道理に貫かれる仏教を、真の宗教とされました。
私達もこの因縁果の道理にしたがい、結果が吉に出ても凶と出てもその結果を受け止めて生きていく(如実知見)、という阿弥陀仏の智慧をわが心として生きてまいりたいと思います。
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