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令和元年台風19号により被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。

被災された皆様の安全と安心が一日でも早く確保されますことを、念願いたしますとともに、札幌組においても災害支援に努めて参ります。

浄土真宗本願寺派 北海道教区 札幌組組長 石堂了正

今月の法話 2020年2月

泡のように儚く 満ち足りない 私の心

無明長夜の灯炬(とうこ)なり
 智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死大海の船筏(せんばつ)なり
 罪障おもしとなげかざれ
『正像末和讃』

 暗くなってから明かりのついていないお家に帰った時、次のような経験をされた方はおられるでしょうか。床に置いてあるモノに足をぶつけないように恐る恐る足を踏み出しながら部屋の中央まで行き、だいたい電灯の紐はこの辺かなと見当をつけて手を左右に動かし紐を探す。そして紐を上下してようやく部屋の灯りをつける、という経験。最近の住宅は電灯の明かりは紐を上下するのではなく、壁にあるスイッチでつける場合が多くなってきました。タイマーで時間になると自動で点灯するものもあるため、真っ暗な部屋の中で電灯の紐を探すことは少なくなってきましたが、誰もが一度は経験されたのではないでしょうか。もし帰宅した時にカーテンが空いていて外の街灯の光が薄っすらでも部屋に差し込んでいれば、電灯の紐も薄っすら見えるので、恐る恐る足を踏み出し手を左右に動かして紐を探す必要はありません。
 親鸞聖人は私の状態を全く灯りの差し込まない「無明」であるとお示し下さいました。「常のともしびを灯といふ。大きなるともしびを炬といふ」と親鸞聖人がお示し下さっているように、無明の闇を破すおおいなる灯炬、つまり“光明”が阿弥陀様からいま私に届いています。煩悩の闇に迷いながら泡のように儚い人生を歩み、いつも何か満ち足りない私の心に、限りない“ひかり”が差し込むことによって生死を突き抜ける人生が拓けるのです。仏様の言葉を信じ、仏が捨てよと仰せになるものを捨て、仏が行ぜよと仰せになるものを行じ、仏が近づいてはならないと仰せになるものに近づかない、真の仏弟子として毎日をお念仏とともに過ごしましょう。

「人生そのものの問い」

日々の暮らしのなかで、人間関係に疲れた時、自分や家族が大きな病気になった時、身近な方が亡くなった時、「人生そのものの問い」が起こる。「いったい何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」。
この問いには、人間の知識は答えを示せず、積み上げてきた経験も役には立たない。
目の前に人生の深い闇が口を開け、不安のなかでたじろぐ時、阿弥陀如来の願いが聞こえてくる。
親鸞聖人は仰せになる

弥陀の誓願は無明長夜(むみょうじょうや)のおほきなるともしびなり

「必ずあなたを救いとる」という如来の本願は、煩悩の闇に惑う人生の大いなる灯火となる。この灯火をたよりとする時、「何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」、この問いに確かな答えが与えられる。
『拝読 浄土真宗のみ教え』本願寺出版社より引用

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