お見舞い

新型コロナウイルス感染症により多くのお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。また、罹患されている皆さまに心よりお見舞い申しあげます。そして高い感染リスクにさらされながらも、日夜、懸命に治療・対策にあたられている医師や看護師をはじめ医療に従事されている多くの方々に深く敬意と感謝を申し上げます。

札幌組は、全国的な緊急事態宣言を受け、感染拡大防止のため行事等縮小の対策を講じることとなりました。門信徒を含め多くの皆さまにはご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申しあげます。

なお、各寺院の詳細な対応につきましては、それぞれの寺院にお問い合わせくださいますよう、お願い申しあげます。

札幌組組長 石堂了正

今月の法話 2021年12月

肩の力を 抜いてみよう わたしはわたし あなたはあなた

 現代社会はとてもストレスの多い世の中です。学校や会社での人間関係、日々追われる仕事、様々なストレスを抱えながら私たちは生活しています。特に自分と他者とを比較することによる不満、不安も多くあるのではないでしょうか。
「自分はこんなに頑張っているのに上司が評価してくれないけど、あの人は裏でズルをしているにもかかわらず評価してもらっている」「あの子は性格が悪いのに周りからチヤホヤされて腹が立つ」「あの人は酒やたばこを吸っていても健康なのに、どうして健康に気を付けている自分が病気になったのか」などなど。不平不満をあげたらきりがありません。
金子みすゞさんの詩に「私と小鳥と鈴と」というものがあります。

「私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥それから私、
みんなちがって、みんないい。」 

 私たちは一人一人がかけがえのない唯一の個性をもっています。私たちの個性に優劣や価値の高い低いはありません。しかし自分の中で勝手に他者と自分を比較して勝った負けたと評価をして一喜一憂する生活を送っています。
 親鸞聖人は、阿弥陀様が私たち一人一人のことを「一子地」のように見守って下さっていると和讃に読まれています。

「平等心をうるときを 一子地となづけたり 一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし」
『浄土真宗聖典 -註釈版-』P573

「一子地」とは、親が私のことをまるでたった一人の子供のように大切に思うように、阿弥陀様は私のことをたった一人の大切な子供のように「絶対大丈夫」と見守って下さっているということです。そのような親以上に私のことを気にかけてくださっている大いなる阿弥陀様のはたらきが「南無阿弥陀仏」となって私に届いているからこそ、他者と比較することなく毎日安心して暮らしていくことができるのです。

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