札幌組のホームページへようこそ
札幌市とその近隣の寺院で構成する浄土真宗本願寺派札幌組の公式ホームページです。

今月の法話 2019年9月

このいのちの誕生 あなたとの出遇い 全てが有ること難し

 私たちが使う数字の単位には、一、十、百、千、万、億・・・とあります。日常生活の中で聞いたことのある最大の単位は兆(10の12乗)や京(けい・10の16乗)くらいまでだと思います。さらに大きな単位は「垓(がい・10の20乗)」です。そしてさらに大きい単位には10の56乗「恒河沙(ごうがしゃ)」、10の64乗「阿僧祗(あそうぎ)」、10の72乗「那由他(なゆた)」という単位があります。
 『仏説阿弥陀経』の中には何度も「恒河沙数(ごうがしゃすう)」という言葉が出てきます。「恒河」とはインドを流れるガンジス河のことであり、「沙」は砂のことを指します。つまり「恒河沙数」とはガンジス河の砂の数ということです。ガンジス河はヒマラヤ山脈を源流としベンガル湾に注ぐ全長約3000キロ、流域面積は173万平方キロに及びます。日本の国土総面積は37万7千平方キロなので、流域面積は日本の4.6倍にもなります。
 お釈迦様がおられた頃のお話です。お釈迦さまが弟子の阿難尊者とガンジス河のほとりを歩いていた時、急に足を止められ阿難尊者に「足もとの砂をすくってみてくれないか?」と言いました。阿難尊者は言われるままに、手のひらいっぱいの砂をすくいあげました。お釈迦様は阿難尊者にこう言った。「ところで阿難、わかりきったことを聞くようだが、足もとの砂と手のひらの砂、どちらが多いだろうか?」。阿難尊者は「もちろん、手のひらの砂は比べ物にならないぐらい少ないです」と答えると、お釈迦さまがこう話し始めました。「その通りです。この世の中に生命あるものは沢山いる。土の中で一生過ごすものも、水中の中で一生を終るものも、空を飛んで一生送るものも、目に見えないような小さなものから、人間の何倍もある大きなものまで、どれほどの生き物がこの世にいるか。数えただけでも気の遠くなるような数です。その中で人間として生を受けたものはどれくらいだろう?それはちょうど足もとの砂に比べて、手のひらの砂の数くらいだろう。人間に生まれたことを、もう一度深く考えてみたいものです」。
 お釈迦様は続いて、「阿難、手のひらの砂を爪の上にのるだけでいいからのせてくれないか」と言いました。阿難は言われるままに爪の上に砂をのせました。すると、「阿難よ、手のひらの砂と爪の上の砂では、どちらが多いだろうか」とたずねられます。阿難は先ほどと同じように「比べ物にならないほど、爪の上の砂が少ないです」と答えると、お釈迦様は「その通りです。人間に生まれた者は手のひらの砂の数くらいいるが、人間に生まれて仏法に出遇えたことの意味をかみしめ、人間として生きることの喜びを知っている者は、爪の上の砂の数ぐらいなのです」と話されました。阿難尊者は「本当にその通りでございます。もう一度人間に生まれて仏法に出遇えたことを、よく考えてみたいと思います」と深くうなずかれました。

無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にもあい遇うことかたし。
われ今見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することをえたり。
願わくは如来の真実(しんじつ)義(ぎ)を解(げ)したてまつらん。

この法話を印刷する(PDFを表示します)
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード

法話バックナンバー