お見舞い

新型コロナウイルス感染症により多くのお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。また、罹患されている皆さまに心よりお見舞い申しあげます。そして高い感染リスクにさらされながらも、日夜、懸命に治療・対策にあたられている医師や看護師をはじめ医療に従事されている多くの方々に深く敬意と感謝を申し上げます。

札幌組は、全国的な緊急事態宣言を受け、感染拡大防止のため行事等縮小の対策を講じることとなりました。門信徒を含め多くの皆さまにはご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申しあげます。

なお、各寺院の詳細な対応につきましては、それぞれの寺院にお問い合わせくださいますよう、お願い申しあげます。

札幌組組長 石堂了正

今月の法話 2026年3月

笑いながら終える今日も 泣きながら迎える明日も なまんだぶ

 私が幼い時両親と一緒の部屋で寝ていました。子供心に覚えているのは父独特のお念仏の声です。布団に入り眠りに就く時、父はよくお念仏を称えていました。今から思えば今日一日が無事に終わろうとする時に、思わず感謝のお念仏が口から出ていたのでしょう。
 その父は老境を迎え脳梗塞を患い、言葉や身体に後遺症が残るなど中々厳しい晩年を余儀なくされました。そんな父に私は「永年僧侶として生きてきて90歳を過ぎた今、もういつ死んでもいいと思えるものなのか…」。そんな問いかけをしたことがありました。父は「この年になってもそうは思えんな。生きていたら美味いものを食べれるし旅行にも行ける。いつ死んでもいいとは思わんのだ」。苦笑いを浮かべながらそう答えました。
 その父も93歳の時に3週間ほど苦しんで命終しました。命終の2時間前に私と母が病室で父の顔を見てた時の事です。瞼(まぶた)から涙がこぼれる中、かすかにお念仏を称える声が聞こえました。「お父ちゃん、念仏かい?!念仏を称えたのかい?」と聞くと、父はかすかに頷(うなず)き、その二時間後にロウソクの灯がふっと消えるように父は息を引き取りました。

「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだむまれざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ」

(果てしなく遠い昔からこれまで生れ変り死に変りし続けてきた、苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、まだ生れたことのない安らかなさとりの世界に心ひかれないのは、まことに煩悩が盛んだからなのです)

名残惜しく思へども娑婆の縁尽きて、力なくして終わるときに、かの土へはまゐるべきなり。

(どれほど名残惜しいと思っても、この世の縁が尽き、生きる力が無くなり命を終えるとき、浄土に往生させていただくのです)

いそぎまゐりたきこころなきものをことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。

(早く往生したいという心の無い私達を、阿弥陀仏は殊のほか憐れに思って下さるのです。このようなわけであるからこそ、大いなる慈悲の心でおこされた本願は益々頼もしく、往生は間違いないのです)

歎異抄 第九章

 父が命終してからしばしば歎異抄のこのご文が頭に浮かび続けました。「まだ死にたくない。生きていたい」と思っても娑婆を生きる縁が尽きたならば、浄土に往生させていただくのだと。「まだ死にたくない…、と思い続ける私こそが阿弥陀如来の救いの目当てであったと…。
 93年の生涯をお念仏と共に生きて、お念仏と共に終えていった私の父。私もそのように生きて死んでいきたいものだと思うことです。

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