ご挨拶

暖かな日が続き、陽気に満ちた春となりました。組内各御寺院皆々様におかれましては日々お念仏相続のためにご精進のこととお慶び申し上げます。
さて、先般開催された札幌組臨時組会におきまして、石堂組長任期満了に伴い、多くの方々から御推挙を賜り、札幌組組長を拝命させていただきました。浅学非才ではありますが、皆様方の温かいご理解とご協力を賜りながら、組長という重責をお勤めさせていただきたいと思うことでございます。
又、お手伝いいただきます新執行部の構成につきましては、

組 長・実践運動委員会委員長  横湯 誓之(安楽寺住職)
実践運動委員会副委員長     打本 大志(大乗寺住職)
副 組 長           久朗津泰秀(大念寺住職)
副 組 長           松本 昇陽(真照寺住職)
副 組 長           長尾 光雲(福住寺副住職)

となります。格別のご高配と組内事業へのご協力を心からお願いいたします。
尚、この春より新体制で組運営を図るにあたり、実践運動委員会も新たな構成で活動してまいります。甚だ恐縮ではございますが、皆様の参画にもご理解とご協力を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

組長 横湯誓之

今月の法話 2025年4月

おかげさま ご縁の中に生かされる

 農家は昔から天候の影響をもろに受け、稲作は日照りによる雨不足や冷害などで大変な思いをしました。この北海道では時代が進むにつれて品種改良が進み寒さに強い品種が出たり、平均気温の上昇もあって極端な不作という事は余り無くなりました。雪が融け春を迎え、気温が少しずつ上がり夏を迎える頃には豊かな実りをみせます。そして収穫の秋は喜びと共に軽やかに農作業をしていた光景が浮かびます。反対に冷害の年は作業の手も重かったのではないでしょうか。人為的な努力の影響によって収穫高が左右されるのは全体から見れば僅か。多くは天候に左右されるでしょうから、まさに天気だのみが多くの農家の現実だと思います。
 種(因)を床の上に蒔いても実(果)はなりません。土や水、光といったものが無ければ実りません。しかも陽が多すぎては日照りになるし、雨が多すぎても困ります。こうした条件を仏教では“縁”と呼びます。この世の全てのものはこうした“因縁果”の道理に貫かれていると思います。
 思えば私達の生命もその道理の中にあります。我が生命の直接の起因は親です。その二人が出遇い、子が授かり生まれる迄には無量無数の出来事(ご縁)があり、それらのどの一つでも欠けていたならば私の生命はありませんでした。この親は今生の親ばかりではありません。ひと世代前の親達。その前の世代の親達と、遡(さかのぼ)っても遡(さかのぼ)りきることの出来ない無量無数の出来事(ご縁)があったはずです。それぞれの世代の親達の出来事の一つでも欠けていたならば、やはり私達はここにいなかったのです。その生命の不思議にうなづかされ、「そうであった」という目覚めを賜る事を浄土真宗で“信心”と言うのです。
 妙好人の浅原才市さんは「ご縁思えば皆ご縁 ご縁で才市が出来ました」と生命の不思議を謳(うた)い上げられています。才市という固定的な存在が初めからあったわけではない。さまざまなご縁が重なって重なって才市となって下さった、という目覚めです。目覚めは悦びになり、悦びは人生を昇華させます。生きていて当たり前の生命ではなく、有り難い生命を生かされている実感と共に生きる人生です。
 一度きりのかけがえのない人生。「貪りと怒りと愚痴に沈む人生」ではなく、才市さんのような人生を送りたいと思います。

※妙好人…親鸞聖人のお念仏の教えを悦んだ人

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