亡き人に願われている我が人生
今から78年前の8月15日、日本国内外に甚大な被害をもたらした日中戦争や太平洋戦争、いわゆる15年戦争が日本の無条件降伏という形で終結しました。
私の父は日中戦争やノモンハン事件に出征しましたので、よく法話などで戦争の話をしていました。そこには加害と被害の偽らざる真相があったように思います。「大砲の弾がヒュルヒュルと音をたて頭上を飛んでいったことや、ピシュッ!と鉄砲の弾が耳元をかすめていったこともあり、もうダメだ、と思った事が何度もあった。こうして生きて帰れたのは奇跡のようなものだ」、と。
また時には次のように怒りをあらわにすることもありました。「ワシの戦友たちの遺骨はまだノモンハンの原野でのざらしになっている。国は戦死した者の遺骨を何故拾いにいかないのか」。
「戦友たちが死んでいく時に、誰もがお母さ-ん!と母の名を呼びながら死んでいった」。こうした事を戦争を題材にした法話の中で語っていました。そうした過酷な戦争体験をした父の身体に流れていたのは戦争への忌避感と平和へのあくなき希求だったと思います。
また父はある戦友の話として次のような話をしていました。「今度人生があったら平和な世の中に生まれたい。自分は先に死んでいくけれど、戦争が終わったら必ずや平和な世の中を創ってほしい。オレがまた生まれることが出来たら、平和な世にあって、学生生活を謳歌し、恋人と出遇って結婚し、子供をもうけたい。そして何気ない日常を送っていきたい。こんな戦場で死んでいくなんてまっぴらごめんだ。頼むぞ!オレが生まれ変わった時のために平和な世の中を創ってくれよ。戦場で死んでいくのはもうオレ達だけで充分だ」。今際(いまわ)の際(きわ)に放った言葉はこのようなものであったといいます。
昨年2月に勃発したウクライナ戦争は双方に多くの犠牲者をもたらし、今もなお、増え続けています。人間は何と愚かなことでしょうか。ウクライナを始めミャンマーでもシリアでも多くの血が流されています。
戦争で亡くなった方々の願い、とは何でしょう。それは非業の死を遂げていった兵士たちの「平和な世を創ってくれよ」という願いではないでしょうか。無残な戦争が終結した8月…。亡き兵士たちの声なき声を聞き続けてまいりたいものです。
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