今月の法話 2023年7月

他人のせいではない 全て自分の責任である

 自分勝手な私は物事がうまく運ぶと「オレがこれだけ頑張った」と自分の手柄にし、うまくいかない時には「あの時、あの人がああしてくれたら」と人のせいにすることしきりです。また勉強嫌いな私は若い頃受験勉強に身が入らず、志望校に入ることが出来ませんでした。齢を重ねた今なお、「若い時にもっと勉強しておけばよかった」と反省することしきりです。そのことを自分の人生の責任として私自身がしっかりと受け止めていかねばなりません。
 一方で人生には自分の意志や努力ではどうにもならないことがあります。被差別部落に生まれたこと、障がいをもって生まれたこと、家庭内暴力(DV)の犠牲者であったり、ヤングケアラーとして学校に行くこともままならない子供。いずれも自分の意志や努力だけでは解決することが難しい問題です。その事までも「自分の責任だ」となると生きていくのは本当に厳しいものがあると思います。
 かつて真宗教団は、被差別部落民やハンセン病患者や様々な疾病等、不遇な環境にあえぐ人々に“誤った業論”を説き差別をしてきました。「あなた方がこうなったのは 前世で悪い行いをした報い」、「現世では不遇であってもひたすらに耐え忍ぶと、阿弥陀如来の救いによって来世はお浄土に生まれることが出来る」と説いて、不遇な人々に現生をあきらめさせ、不当に忍従を強いてきた歴史があり、今なおそうした残滓(ざんし)があります。
 私達の教団では一人ひとりがそうした過去の過ちを直視し、さまざまな取り組みを進めているところです。このような差別の実態に目をつぶることなく、歴史に学び、私達の抱えている差別心がいかに偏見に基づいたものであるかという事に気づき、差別・被差別からの解放を目指すことが、自他共に心豊かな人生であるという事に気づかねばなりません。
 105歳まで生きられ生涯現役医師を貫いた日野原重明先生は「いのちとは時間である」と言われました。一度きりの人生、努力を怠り悔恨の人生に終わることは大変空しいことです。
 またいわれなき差別に苦しむ人達に寄り添いながら、差別克服の道を出来ることから始めることも大切なことです。
 仏教には自利利他という言葉があります。自らのいのちを輝かせる事が他のいのちをも輝かせ、他のいのちが輝く事により、自らのいのちもまた輝くのです。そんな道を歩んでみたいとは思いませんか…。

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