今月の法話 2022年9月

お浄土へ 生まれ往くわたし いのち輝き 生かされる うれしさ

 私達はさまざまな不安を抱えて生きています。三〇年にも及ぶ日本経済の不況は、各分野に多くの不安を与えています。また三年目を迎えた新型コロナウィルスの感染にままならぬ日常を余儀なくされています。ロシアによるウクライナへの侵略戦争も、物価の上昇など私達に多くの不安を与えています。
 そうした不安と共に老病死への不安は人間存在における根本命題として、常に私達の人生に横たわっています。そしてそれは年齢を重ねるにつれて大きな不安となって人生と共にあるのではないでしょうか。
「人は死ねばゴミになる」を出版した元検事総長の方がおられました。そして現代人の多くが「死んだら無になる」と考えているようです。生きている人は皆、死んだ経験がありませんから、そのように死を思うのも無理はないのでしょう。さて、あなたはどう思われますか。
 さまざまな不安を抱える私達に、安心を与え、“いただいたいのち” を悦びながら生きる道を示してくれるのが、親鸞さまのお念仏の教えだと思います。親鸞さまのお念仏の教えを人生の拠りどころとして、悦びの人生を送った人を「妙好人」と言い、その一人に浅原才市さん(一八五〇~一九三二)がおられました。
 大工さんであった才市さんは若いころ、酒に賭博と随分荒れた生活をされていたようです。しかし、亡くなられたご両親の遺言で四五歳頃から、あちらこちらのお寺に行き、法話を聞き続けました。六〇歳を過ぎたころから法悦(お念仏の教えに遇(あ)った悦(よろこ)び)を詩として書き残し、その数は六五〇〇とも伝えられています。

才市や何処におる 浄土貰うて娑婆におる 
これがよろこび なむあみだぶつ

 「死んでお浄土参りをするんじゃない。この身このままで浄土の救い(阿弥陀如来の救い)をいただいて、悩み多き娑婆にいる。これが私の悦び」、という才市さんの心意気が伝わってくるような詩です。
お念仏の教えに生きるとは、たまわったいのちをあらゆる存在に生かされる「有り難い」という生き方、そして自己中心的な心を離れることができない自分を省みる「お恥ずかしい」という生き方を、自らの生き方としていくことに他なりません。そうした生き方に徹した才市さんだからこそ、この身このままでお浄土をいただき、やがてはお浄土に生まれさせていただく安心を得て、輝きに満ちた人生を送られた方でした。
願わくば私達もそうありたいものですね。

印刷用PDFファイルはこちら
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード

法話バックナンバー