仏法は 人生の 基礎工事
建築工事には基礎工事が欠かせません。基礎工事をおろそかにすると建築物が傾いたり沈下したりします。地盤の悪いところで建てられた古い家屋で、家が傾いたり沈下しているのを少なからず見たことがあります。杭を打ち、基礎をしっかりと固めたうえで建築をしなければこうしたことになる場合があるのですね。
随分前のことですが、あるご法事の会食の席で年配の方が私の所にこられて自分の生い立ちを話してくださいました。「俺の母親は一度も勉強しろとは言わなかった。その代わりに人としての生き方を教えてくれた。さまざまな仏教の言葉を通して、人の道を説いて聞かせてくれた。人はこう生きるべき、こんな生き方をしてはいけない等々。母親の願いを自分の願いとして今まで一生懸命生きてきた。さまざまな苦労もあったけど、そのたびに母であったらどうであったか、阿弥陀さまに聞いたらどうであろうか。そんなことを考えながら人生を生き抜いてきた。この母親に育てられて本当に良かったと思う」。そう述懐されたのです。私には忘れられないひとコマとして、今も脳裏に焼きついています。お寺のご法座やお講などで門徒の人々はお念仏について語り合い、伝え続けてこられました。そうした人々の悠久の営みから紡(つむ)がれたご法義が、お母さんの言葉を通してこの男性にしっかりと伝えられ、人間としての基礎が出来上がったのではないでしょうか。幼い時からのお念仏の伝承がとても大切であることをこの男性は私に教えてくれました。
「心を弘誓の仏地に樹(た)て」(顕浄土真実教行証文類「註釈版聖典」473頁)という親鸞聖人のお言葉があります。樹木で大きく枝を伸ばしている木は根っこも広く深く根ざしていて、強風にも倒れづらいけれど、上にすーと伸びている木は根っこが狭く浅く強風に倒れやすいと聞いたことがあります。
私達はどうでしょうか。大地に人間としての根っこを広く深く根ざした人生を送っているでしょうか。自分を是とし、自分の損得でものを考え生きている私達に、そうした我執の世界から早く抜け出て、阿弥陀さまの仏地にしっかりと樹(た)った生き方があなたの真の生き方であると、常に呼び掛けているのが阿弥陀さまでありました。
広く深く根を張った樹木のごとく、私達も阿弥陀さまの大地にしっかりと足をつけた人生を生きていきたいと思います。
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