今月の法話 2021年4月

出遇いと別れを繰り返し いま お念仏申すことをよろこぶ

 「人生100年時代」と言われる世の中になりました。テレビのコマーシャルでは少しでも若く・長く・健康に・美しく人生を過ごすための商品が毎日紹介されています。この商品を飲めば痛みがやわらぐとか、クリームを塗れば顔のしわが少なくなるなど、健康や若さ美貌を追求する商品が溢れかえっています。いつの間にか私たちは健康や若いということは素晴らしくていいことで、病気になることや老いることは悪いことのようなイメージが意識の中に植え付けられています。今やできるだけ老いや死に対して蓋をして触れなくすることが世間の常識になってきました。自分はいつまでも若いままで、健康で死なないと思いながら暮らすようになっています。しかし老いや病、そして死から目をそらして生活していると、今の「生」そのものを見ることもできません。
 私たちには必ず老いが訪れ、病にかかり、そしていつか必ず大切な人と別れなければならない時がやってきます。どんなに日ごろから健康や美容に気を付けていても時の流れとともに若さは失われ病になり、そして愛おしい家族ともいつか必ず別れる時がやってきます。しかもその日が今日なのか何十年も先のことなのか、それすら誰にも分りません。そんな儚い人生を歩んでいます。しかし老いて病気になりいつか必ず終わる命だと気づくことによって、今歩んでいる人生のこの瞬間の大切さに気付けるようになります。家族や大切な人と過ごすこの時間が永遠には続かないと気づくことによって、いま大切な人と過ごしているこの時間が実はとても尊い宝の時間であると気づけるのです。
 宗祖親鸞聖人は私たち念仏者の人生は決して空しく過ぎることのない人生であると言われています。それは阿弥陀仏の願い、はたらきに出遇うことによって同じ信心をいただき、阿弥陀仏の限りない“いのち”と“ひかり”の摂取不捨のはたらきとの出遇いによって生死を突き抜ける人生が開けるからです。阿弥陀仏の願いを疑いなくいただき、南無阿弥陀仏と念仏申す念仏者の人生の先には、先に往生された懐かしい方々とお浄土でかならず再び会うことができる世界がすでに用意されています。この世で出会いと別れを繰り返しつつも、命終えたらまたお浄土で大切な方と会える人生をいま私たちは歩んでいるのです。

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