ひとりぼっちと 嘆くわたしに なんまんだぶの 声が聞こえる
新しい一年が始まりました。このお正月は例年とは異なり、なるべく少人数で静かに過ごされている方が多いのではないでしょうか。お正月を初めて一人で迎えた方もおられるでしょう。
私たちは誰もが独り生まれ独り死す存在です。普段、派手に賑やかに振る舞っている人でも死ぬときは独りであり、私の死を誰も代わってくれる人はいません。生まれる時も死ぬときもたった独りである私の人生。そんな心許ない私に、「いつも一緒だよ、独りじゃないから安心しなさい」と常に呼びかけて下さっているお方がおられます。そのお方は阿弥陀様です。体が健康で周りの人との人間関係も良好で、気持ちが晴れている時は、寂しさや孤独感は感じにくいですが、今日のように一人でいる時間が長くなり一日中誰とも会話をせず、ちょっとでも健康に不安を抱いたり、人間関係で落ち込んだりすると私たちの心は急に寂しさと不安で一杯になります。阿弥陀様は楽しいときも悲しいときもいつも静かに私たちを見守って下さり、「必ず救う、われにまかせよ」と呼び続けて下さっています。
金子みすゞさんという童謡詩人がおられました。みすゞさんの作品の中に「星とたんぽぽ」という詩があります。
青いお空の底ふかく
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
私たちの眼で見えるものは限られています。しかし私の眼で見えるものが全てであるかのように錯覚して生きています。私の周りには目で見えないものも沢山あります。風や匂いや人の優しさです。阿弥陀様のはたらきも、私の眼では見ることができませんが、阿弥陀様はいつも私を見ておられます。私の人生には常に阿弥陀様が寄り添いながら歩んでくださっています。
阿弥陀様のはたらきに出会うものは、どんな人生を歩もうとも決して虚しく終わらせない。そして必ず浄土に生まれさせ必ず仏にすると誓われた阿弥陀仏の願いが、いま私が称える「南無阿弥陀仏」のお念仏となってはたらいてくださっています。浄土に旅立って往かれた懐かしい方々も「南無阿弥陀仏」となって私の元へ還ってきてくださっています。そんなお浄土で仏様となられた懐かしい方々にいつか私も命が終わり阿弥陀様のはたらきによってそこへ往き生まれ仏様とならせていただき、再会した時に「また遇えたね」と抱き合って涙を流しながら喜び合えるよう、念仏申す一年を過ごしましょう。
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