今月の法話 2020年6月

苦があるから 楽がある 死を知って 生に気づく

 新型コロナウイルスに感染された方々にお見舞い申し上げます。また感染によりご往生なさった方々に心より哀悼の意を表します。5月に緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだまだ以前のような日常生活を送るには程遠い現状となっています。
 お釈迦様は「一切皆苦」とお説き下さり、人生はまさに苦しみそのものであるとお示し下さっています。娑婆という言葉はサンスクリット語の「saha」という言葉を音写したものです。「saha」とは忍土・堪忍土・忍界と漢訳され、私たちが今生きている現実世界のことを指します。我々は内にはもろもろの苦悩を忍んで受け、外には寒・暑・風・雨などの苦を受けて、これを堪え忍ばねばならないから忍土・忍界などといいます。新型コロナウイルスに対しても今まさに私たちが最も堪え忍ばねばならない状況となっています。
 目に見えないウイルスは私たちの生活を大きく変えました。感染リスクを減らすため、学校が休校になり、仕事は在宅勤務が増えました。移動を控えねばならない状況となり5月の大型連休はほとんどの時間を家で過ごすことになった方が多いともいます。毎日ニュースでは感染者数や死亡者数が報道されています。テレビで身近に接していた人気芸能人の新型コロナウイルスによる死により今まではるか遠くにあった「死」というものが非常に身近に感じるようになりました。ウイルス感染の世界中への拡大により、私たちの命もいつか必ず終わる限りある命であることを気づかされました。
 『仏説無量寿経』という経典の中には「見老病死 悟世非常」(『註釈版聖典』4ページ)という言葉が出てきます。「老・病・死を見て、世の非常を悟る」という意味です。誰もが老い、病気になり、そしていつか必ず死を迎えます。しかし普段、私たちはその事実から目をそむけ続けています。さらに自分だけは死なないだろうと思いながら日常生活を送っていたのが今までの私たちの正直な姿ではなかったでしょうか。しかし現実は毎日老いていき、病を患い、そして必ずいつかは死ぬという真実をお釈迦様は私たちにお説き下さいました。そのように考えると、新型コロナウイルス感染拡大により不自由な生活を強いられることによって、私たちの今までの日常生活が実は奇跡の連続であったことに気づかされました。
 私たちに突き付けられたいつかは必ず終わる命という真実に気づくこと、そして人間を超えた大いなるはたらきである阿弥陀仏の本願の救いに出遇うことによって、「生死出づべき道」が開かれ、虚しく終わらない人生を送ることができるのです。「いつ・どこで・どのような形で死を迎えようとも、この人生は決して虚しく終わらせない」という阿弥陀仏の本願の誓いは、「南無阿弥陀仏」となって今ここにいる私に確かに届いています。

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