今月の法話 2020年3月

いまここにいる 無量の縁の どまんなか

 私たちは毎日、様々な人と出遇っていますが、はたして人が生きている間に出遇う人の数を考えたことはありますか? 先日SNSに次のような記事が掲載されており深く考えさせられました。
「人生80年として、人が一生で出会う人の数はおおよそ何人くらいなのか。何らかの接点を持つ人は30,000人、同じ学校や職場、近所の人は3,000人、親しく会話を持つ人は300人、友人と呼べる人は30人、親友と呼べる人は3人。
 これを確率に直すと何らかの接点を持つ人に出会う確率は24万分の1、学校や職場、近所の人と出会う240万分の1、親しく会話を持つ人と出会う2,400万分の1、友人と呼べる人と出会う2億4000万分の1、親友と呼べる人と出会う24億分の1」だそうです。
 この確率を見ると人との出会いが天文学的奇跡だということが明らかになります。たまたま街ですれ違った人、好きな人、嫌いな人、助けた人、助けられた人、喧嘩した人、優しい人、厳しい人、どんな人でも人と何らかのかかわりを持つ出会いは奇跡のような確率になります。
 宗祖親鸞聖人も29歳の時にその後の人生を大きく変える法然上人との出遇いがあり、越後にご流罪になられてから妻となられた恵信尼様と出遇われ、共にお念仏を慶ぶ人生を歩まれました。
「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」(総序、註釈版132頁)
「ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ。」(現代語訳)

 毎日様々な人に出遇います。その出遇いが実は奇跡的な確率の出遇いであり、その出遇いの積み重ねの上に今の私が存在しています。今私がここにいる、そのこと自体が無量の縁のど真ん中だったのです。                                 合掌

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