今月の法話 2019年3月

別れを忌み嫌わず 別れの中の出遇いを喜ぶ

 3月は卒業や転勤・退職など別れの時期です。この時期に限らず私たちは日々の生活の中で沢山の大切な人、モノ、場所との別れを重ねてきました。小さな別れから精神的に大きな悲しみを伴う別れまで幾度となく経験してきました。喪失を伴わない人生はありません。お釈迦様は「愛別離苦」(愛するものと別れなければならない苦しみ)は誰もが味わっていかねばならない苦しみであると説かれています。

人生には数えきれない出会いがあり、同じだけの別れがあります。しかしお念仏を慶ぶ私たちにはまた会える世界があります。先立たれた方々は、私たちに“いのちの有難さ”を伝えて下さいました。「死ぬことが“あたりまえ” 生きることが“不思議”」の“いのち”を私たちは今めぐまれています。その“いのち”は無に終わったり、ゴミに終わるような“いのち”ではありません。お念仏を喜ばせていただく私たちには、安心して帰らせていただく世界である“お浄土”が阿弥陀様によって既に用意されているのです。

「私たちには本当に帰る場所が明らかになっているのかどうかということが問われておる」(松扉哲雄)。「人生は“旅”である」とよく言われます。旅は、家に帰りついてこそ完了します。人生の旅を終えて帰って往く世界をいただいておられますか。それとも目的地や安らぐ地がなく一度限りの人生を虚しく彷徨っておられないでしょうか。お念仏を喜ばれた懐かしい方々は「お念仏申すことを自らの人生の目標とせよ」、「お浄土に往生して仏になることをわが命の目的として生き抜くように」と身を持って私たちに示し、「南無阿弥陀仏」となって私たちに喚びかけておられます。

「南無阿弥陀仏」のみ教えをいただく念仏者には永遠の別れというものはありません。別れの中にも出遇いを喜べるお浄土という世界に包まれながら人生を歩んでいます。だからこそ「また会える世界があってよかった」と喜びと安らぎの中で人生を歩ませていただくことが出来るのです。春のお彼岸に際し、懐かしい方々を偲びながら「倶会一処」と聞かせていただくお浄土という世界をともに味わわせていただきましょう。

印刷用PDFファイルはこちら
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード

法話バックナンバー