今月の法話 2018年8月

別れの中で 出遇い 教えられる 気づかされる

 お盆の時期を迎えました。大切な方との別れの中でお寺とご縁を結ばれ、阿弥陀仏の本願の教えに出遇われた方もおられると思います。様々な悲しみを抱えながら初めてお盆を迎えられる方もおられると思います。浄土真宗の教えをいただく私たちにとってはお盆の期間だけ亡くなったご先祖が祖霊として帰ってこられるという考えではありません。親鸞聖人が『讃阿弥陀仏偈和讃』に

安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし  『註釈版聖典』560頁

 と讃えられておられるように、浄土で仏となった方々は、大いなる慈悲の心をおこして、迷いのなかで苦しむすべてのものを救いたいとはたらき続けて下さっています。さまざまな縁を通して私たちを仏前に誘い、仏法聴聞を勧めてくださっています。そのはたらきは、釈尊が巧みに人々を教化されたように、自在であり限りがありません。したがって、そのはたらきはお盆だけという期間が限定されるというものではありません。また血縁のあるご先祖だけでなく、亡き方々すべてを含みます。私たちは、多くの先人たちの導きによって、同じように浄土への道を歩ませていただくのです。この人生は、私が浄土で仏となり、自在の救いを行うことが出来る尊い道であると教えられるのです。
 しかし私たちはいつも仏様となられたご先祖や亡き方々のはたらきを思い続けているかといえば決してそうではありません。むしろそれらの方々を忘れて日常生活を送っているのが現状です。お盆は仏様となられたご先祖の方々のはたらきを忘れがちな私たちが、お寺やお墓にお参りに出向いて仏法を聴聞することによって、そのはたらきを教えられ気づかされる一つの節目として考えることが出来ます。

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