今月の法話 2018年1月

他への思いをめぐらし 自分をみつめる 手を合わす ひととき

 新しい年を迎えました。友人や知人、親戚の方から届く年賀状に目を通しながらお正月を過ごされている方も多いと思います。お正月に届く年賀状には「おめでとう」という言葉をよく見かけます。「めでた・し」は「メデ(愛)イタシ(甚)」の訳です。本来は褒め讃える程度が甚だしいという意味で、そこから現在のように大変喜ばしい時に使われるようになりました。
 本願寺第8代宗主「蓮如上人」(1415-1499)と同時代を生きておられた僧侶に今でも“一休さん”の愛称で大人から子供まで親しまれている「一休宗純」(1394-1481)がおられました。一休さんがお正月に初孫が生まれたばかりの初老の商人に「おめでたい言葉を書いてほしい」と頼まれました。そこで一休さんが書かれた言葉は「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」であったと言われています。言葉を見て驚く商人に「この順番通りでなければどうですか。老いた者から順番通り死んでゆくということは当たり前のようで実はとても難しい。だからこの言葉がめでたいのだ」と言ったという話があります。皆さんの周りにも順番通りでない死に直面し、深い悲しみの中で暮らされている方はおられませんか。
 蓮如上人の書かれた「白骨の御文章」の中には「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」という言葉や「人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば」という言葉が出てまいります。「無常の風」が吹けば、どれだけ若くても、いくら健康な人であってもいつ終わるかわからないたった一度きりの儚い人生を今、私たちは歩んでいるのですよとお示し下さっています。私たちの身にもいつどこで「無常の風」が吹くか分からない人生、最も大事な後世の浄土往生ということをこころにかけて、阿弥陀様にお任せし、念仏申す新たな一年を過ごしましょう。

門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし 【一休禅師】

合掌

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