今月の法話 2017年5月

何かを得ることは 何かを失うことであり  何かを失うことは 何かを得ることである

 近代資本主義が誕生して約250年。経済学の父と呼ばれるアダム・スミス(1723-1790)は市場経済を動かすのは自らの利益を求める「利己心」であると説きました。その一方で経済活動に欠かせないものとしてもう一つの要素を『道徳感情論』の中で記しています。それは「共感」という概念です。経済活動の中で相手の不利益にも思いをいたし自分の行動を判断する。それがスミスの言う「共感」です。それから200年余りが経過し、時にその「共感」を忘れ、ひたすら利益を追い求める現代の資本主義があります。
 ご門主様が「念仏者の生き方」の中でお示しくださいました「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉があります。他者に対して穏やかな顔と優しい言葉で接するという意味の言葉です。その言葉に続いて『仏説無量寿経』の中には「先意承問(せんいじょうもん)」という言葉が出てきます。相手の気持ちを慮って先回りして行動するという意味の言葉です。得か損かで行動していることの多い私達の生活ですが、私たちが何かを得ることで、誰かが何かを失っているということを慮ることが資本主義の経済活動にも欠かせないものであるとアダム・スミスは説いています。

「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」『浄土和讃』

 親鸞聖人はこのご和讃の中の「摂取」という言葉に「ものの逃ぐるを追はへ取るなり」と意味を記されました。仏様のお心にかなう生き方が出来なくても、その私を決して見捨てずいつも見守って下さっているお方が阿弥陀様です。SMAPの歌に「らいおんはーと」という歌があります。その歌の中に

「失ったものは みんなみんな埋めてあげる この僕に愛を教えてくれたぬくもり 君を守るため そのために生まれてきたんだ あきれるほどに そうさ そばにいてあげる 眠った横顔 震えるこの胸 LionHeart」

 という歌詞が出てきます。阿弥陀様は苦しみを抱え自分本位にしか生きられない人生を歩む私のために今、「南無阿弥陀仏」となってはたらきかけて下さっています。
合掌

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