今月の法話 2016年7月

南無阿弥陀仏 たのみます 南無阿弥陀仏 ありがとう

 私たちがお念仏(南無阿弥陀仏)を称える時、どのようなお気持ちで称えていますか?
 例えば、近々試験がありどうかその試験に合格しますように「南無阿弥陀仏」と称えたり、体の調子が悪くてどうか体の調子が良くなりますように「南無阿弥陀仏」と称えたり、宝くじを購入した後でどうかこの宝くじが当たりますように「南無阿弥陀仏」と称えたりしていませんか?私たちが称える「南無阿弥陀仏」は自己の欲望や願いを満たす為に称えるものなのでしょうか?
 阿弥陀様は「われにまかせよ、わが名を称えよ、浄土に生まれさせて仏にならしめん」と苦しみ・悩みの多い私の人生につねに寄り添って下さっています。阿弥陀様の救いの力が私の称える「南無阿弥陀仏」となって、今この私にはたらき続けておられるのです。私たちが称えているお念仏は、いつも私のことを心配し見守って下さっている阿弥陀様に対する報恩感謝の思いを念仏の声にあらわしているのです。だからお念仏(南無阿弥陀仏)は自己の欲望や願いを満たすためのものではありません。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、報恩感謝の念仏をご臨終の時まで申されていたことが『御伝鈔』に記されています。

「口に世事をまじえずただ仏恩の深きことをのぶ、声に余言をあらわさずもっぱら称名たゆることなし」『御伝鈔』下巻第6段

 私たちも阿弥陀様への報恩感謝の思いからつねに「南無阿弥陀仏」とお念仏を申しながら、人生を歩んでいきたいものです。

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