今月の法話 2015年8月

兵戈無用 どの いのちも 踏みにじってはならない

 いつまでもたっても世界中で戦火の止むことはありません。それどころか、拡大の方向にこの日本も含めて、向かっているようにも思えます。誇りとか、意地とか、又経済戦争のために【いのち】をむなしくしてはなりません。【いのち】をむなしくするのはいつも社会的な弱者ばかりです。
 歌手の淡谷のり子さんが亡くなられてから十五年過ぎました。彼女は晩年は、ものまね番組などの辛口の審査員として、本業とは別の意味で人気を得たようです。しかし青森で出生し歌手を目指したプロ精神は凄まじいものがありました。流行に乗った人気歌手を「歌屋」などと呼んだのもその一例でしょう。今年は戦後七十年にもなろうとしています。もう戦争の記憶は遠ざかり、悲惨な戦争を知る世代は八十歳以上ということになりましょうか。淡谷さんはその中で戦前、戦中、戦後を歌手として生き抜かれました。評論家吉武輝子さんの書「別れのブルース淡谷のり子―歌うために生きた九十二年」に次のように書かれています。

【「進め!一億火の玉だ」の時代に軍部の命令を拒むことは出来なかった。のり子のギリギリの抵抗は無料奉仕を申し出ることだった。好きな歌を歌うことを弾圧する軍部から金をもらうなどはマッピラだ。自前で歌うならばなんの歌を歌おうと勝手ではないか。のり子はこの心意気をつらぬき通し、ついに皇軍慰問においても軍歌を歌うことがなかったのである。「ステージで涙を見せるのは歌手の恥」と言い切るのり子が涙を流したことがある。戦争末期沖縄決戦が叫ばれていた頃のり子は九州の特攻基地を巡演させられていた。特攻隊員たちに最後のはなむけとして歌をきかせてやろうという軍部のはからいによるものだった。あるステージに立つと白鉢巻きをしている童顔の若者たちが座っていた。「淡谷さんあそこに座っているのは特攻隊員です。命令が出ると直ちに出撃しなければなりません。歌の途中で中座するかもしれませんが、そんな事情です」と中年の将校が詫びるように言った。のり子は祈るような気持ちで歌い続けた。だが祈りはむなしく、歌の途中で少年たちは立ち上がると、一人一人のり子に敬礼をして去って行く。のり子は歌を歌いながら敬礼されるたびに頭を下げて応えていたのだが、もう涙が出たら止まらなくなってしまった。お客様に涙や泣き顔を見せてはならないと自らを戒め続けてきたのり子である。だがこの時はせぐりあげる涙をどうしても止めることはできなかった。「すみません、ちょっと泣かして下さい」とのり子は兵隊たちに背を向けて泣き続けた。たとえ生命を奪われるようなことになろうと、人を死に追いやる軍歌は決して歌いはしない、のり子は去って行った少年たちに誓約するように、何度も同じ言葉を心の中で繰り返した】

 懐かしさ、勇ましさで軍歌を歌われる方もおられます。しかしこのような体験で歌う事ができましょうか。戦争はどんな理由をつけたところで人間同士の殺し合いです。庶民と言われる弱者が「国のため」という名の下に犠牲になります。七十年も経ちますと風化するのか危機を煽られる方もいらっしゃいます。仏法は「いのち」の教えです。「おのが身にくらべて殺してはならぬ、殺さしめてもならぬ」そして兵戈無用(戦う人間や武器は不要)という、仏法のいのちの平等性を感じ取る力が今こそ必要だと思いますが・・・・

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