今月の法話 2014年8月

ありがとう 言った側から 愚痴三昧

 『世の中は酒と女が仇なりけり どうぞ仇にめぐりあいたい』という川柳があります。うまいことを言ったと思います。まさにその通りでありまして大好きなものにいつも振り回され迷わされている私たちです。この『酒』と『女』をあなたの大好きな言葉にかえてみてください。それが『家族』であれ『ゴルフ』であれ『仕事』であれ『車』であれ、みなあてはまるのではないでしょうか。これらが満たされればよいのでかすが、なかなかそのようにうまくはいきません。だからこそ、悩んだり苦しんだりするのでしょう。興味のないことや、自分の嫌いなことには、どうなろうと知ったことではありませんが、自分の『好きなこと』にかかわってまいりますと目の色が変わってまいります。ところが満足はなかなか得れるのではありませんね。『お金』などはほとんど世界中の人が共通で好きではないでしょうか。どんな方でもお金が手に入れば喜びます。だれでも金の欲しくないのはほとんどいません。しかも百万あれば一千万、一千万あれば一億ときりがありません。たとえ世界一の金持ちになったとしても、『まだまだ、もっともっと』と求め続けていくことてありましょう。何かと大人は子供に説教したがりますが、大人も欲に振り回されているのは同じことなのかもしれませんね。いや子供よりも隠す分だけしたたかなのが大人なのかもしれません。
 七高僧の第六祖源信僧都が横川法語という書物で『妄念はもとより凡夫の自体なり、妄念のほかに心はなかりき』とあります。妄念の他に人間には美しいとか貴いとかの心はないというのであります。妄念とは欲に振り回されている心ということであります。しかもその心以外に私たちの心はないと言われます。『心が良ければ』とか『心の時代』などという番組がありますが、妄念の心ばかりの私が心掛けで何とかなるように思うことこそ妄念そのものでありましょう。人間の喜びとかいうものは妄念の喜びなのです。ですからありがとうと言ってもすぐに「もっと、まだまだ」という愚痴がでてまいります。欲がかなえば喜びます。大きな欲がかなえば、躍り上がって喜びます。欲がかなえばうれしい、欲が思う通りにならなければ腹が立つ、これが人間の心です。金が儲かるのも、家を建てたのも、子供が出世したことも、自分の思い通りという欲の心であります。これがかなわなければ、恨み、憎しみ、そして愚痴というふうになってまいります。仏教はこの欲の心を制御することなのです。ですから仏教を聞くということは、自分の欲の心、すなわち喜びを押さえていこうということになります。仏教を聞くのは決して楽しくも喜ばしいことではないのです。皆様は仏教なり念仏の教えを聞いて『楽しくて楽しくて』という方はいらっしゃるでしょうか。私たちは所詮、仏様に背を向けている人間なのです。『そんな教え聞きたくない』と逃げ続けている私なのです。『生死甚だ厭い難く、仏法また欣い難し』なのです。そんな私が『今』仏法に出会っている、この不可思議さを思いたいものですね。『心がけ』では何でも解決は出来ません。その心こそが大きな問題を抱えているということなのです。肉体がとか、本能とか申しますが、問うべきは我が心であります。

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