能力素質の上下を問わぬのが阿弥陀仏の救いなり
本願寺第八代蓮如聖人は、本願寺中興の祖とも呼ばれ、当時さびさびとしていた本願寺を一代で大教団へと発展されたのでした。今もその功績は、開祖親鸞聖人と共に私たち浄土真宗の門徒にとりまして大きいものであります。お勤めの後、又法話の後に読まれる御文章(大谷派はお文)は、蓮如聖人の皆様へのお手紙として大変お馴染みだと思います。蓮如聖人を傑物、政治家としてのずるさを取り上げる学者の方もいるようでありますが、上人の教化は《同心、同座、共食》でありそして平座という世界でありました。それまでの上から下への教化を、共に悩み共に苦しみ共に喜び合う世界へと変えていかれたのです。それはまさしく慈悲の風景と言える世界でありました。同情するとか、憐れむのは慈悲とは申せません。それはあくまで高みから見ているからです。慈悲心というのは、共にうめくと言うことなのです。介護、ボランティア、援助、これらがえてして前者の姿になってはいないでしょうか。そこに助けてやった、介護してやった、そしてこんなにしてやっているのに・・・・などという傲慢さにつながってはいないでしょうか。そこには共にうめき、悲しむ姿は見いだせません。
児童文学者の灰谷健次郎さんの話の中に『骨くんの話』というのがあります。たかはしさとる君という子供の話です。さとる君は幼稚園の帰りにダンプカーにはねられ右大腿部切断という大事故にあいました。やがて小学校に入り、始めは休みがちであった学校も持ち前の明るさで登校をしてくるようになりました。それまでさとる君は自分とおそらく戦っていたのでしょう。そして一年生の秋の運動会のことでした。一年生にかけっこの順番がまわってきました。『さとる、走るか』と先生がちょつと躊躇しながら言いますと、さとる君は怪訝な顔をしています。走るのが当たり前のように・・・先生はあわてて『よしよし、がんばってこいよ』と送り出します。ピストルがなり子供達が走りだします。義足が鳴り、熱い息が出る。さとる君はけんめいに駆けています。しかしさとる君がやっと折り返し点を過ぎたとき他の子供はすべてゴールに駆け込んでいました。広い運動場をさとる君は一人で駆けます。運動会特有のあのやかましい音楽が奏でられているのに運動場はしーんとしています。いつころんで泣き出すか、観客のそんな思いがまわりの空気を固く、冷たくしています。さとる君は自分のありったけを出して走ります。無心の眼でした。いつか観客はその眼に吸い込まれていきます。そして観客のはらはらした気持ちが感動になっていきます。さとる君がついにゴールします。その時に静まり返っていた運動場に猛烈な拍手がおこります。そしてその拍手はいつまでもいつまでも続くのでした。
その激しい拍手はなんだったのでしょうか。灰谷さんは次のように結びます。『さとるの力走を見ていた数千人の子供と親たちは、そのときさとると同じように片足をなくし、義足をつけそして走ったのだ。それでなければあんなすさまじい熱い拍手がおこるはずはない』と。まさに慈悲の風景とはこのようなものでありましょう。能力や素質を問わず逆に弱さから学ぶべき事がどれだけあるでしょうか。阿弥陀様は老少善悪は問わないのです。そのような世界にとらわれている私たちを恥じるばかりです。
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