今月の法話 2013年7月

執着することが 苦しみの原因となる

 近頃は物や、不要物が溢れ、『捨てる技術』などという本まで出ています。リサイクル問題や、ゴミ処分はこれからの社会そして私たちの大きな課題でもあります。パソコンを一台捨てるのに三千円から五千円かかります。洗濯機、テレビ、タイヤなどの、大型のゴミも同様にかかります。不法投棄物が後を絶たないのはこの経費を払いたくないからなのです。経済優先とは言え、あまりにも多くのゴミに驚きます。
 一度スーパーに買い物に行って、帰ってから品物の包装を取りますとその包装紙だけでゴミ箱がいっぱいになってしまいます。しかし相も変わらず『浪費のススメ』景気浮揚のための『消費を活発に』の意見も多いようです。『モノを大切に』というのが美徳ではなくなってきたような印象さえも与えられます。懸命に働き、懸命に買い漁り、そしてゴミの山を営々として築いている、そんな生き方を私たちはしているようです。政治家の話も『どうすれば景気がよくなるか』ばかりのようです。昨日自民党、今日は民主党と、当選するためになりふり構わず、何がなんだかわからない混迷の政治の様相でもあります。つくべき縁、離れる縁とは申しても、勝つためにはという節操のなさに、驚くばかりの方は多いのではないでしょうか。天下りも大きな問題として取り上げられていますが、富、位は人間の執着する大きなものなのでしょうね。お釈迦さまの誕生の歌『花まつり行進曲』の歌詞に「立派な国に生まれいで 富も位もありながら一人お城を抜け出でて 六年にあまる御苦行」とあります。お釈迦さまは一国の皇太子として生まれ、富、位には満たされながらそれらを捨てて出家されたのです。それは『富、位では真実に人間の幸福はない』という宣言であったのです。「老、病、死をみて世の無常を悟り国と財と位を捨て、山に入り道を学す」(無量寿経)
 どうも私たちはお釈迦さまの捨てられたものを求め、執着しているようですね。確かに現実、人生を歩む上でこれらのものが不必要とは言い切れない時代でもありましょう。しかしこれらへの執着の強さが他と諍い、自らを閉じこめ、なおいっそう悩み苦しむ生活を送っているように思えます。しかもその欲求は常に『もっともっと』と止むことなし、であります。そのどこに私たちが幸福と感じていける世界があるのでしょうか。どこまでいってもきりがないのです。止まることも出来ない人生を送らなければならなくなってしまいます。『モノ』でも『欲望』でも人間の容量には限界があるのです。食べ物ばかりでなく私たちの欲望への思いも今流行の『成人病』になっているようですね。『奪い合えば足らぬ 分け合えば余る』人間としての分限、わきまえを知る大切さを思います。宗教が不必要と答える方が八十パーセントを超えると言われている日本、しかし仏教はこのためることよりも捨てる大切さを示し続けていきます。たまには幸福の原点は何なのか静かに自分を問うてみたいと思いますが・・・・

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