今月の法話 2012年7月

悩まされるとは無自覚である 悩むとは自覚である

 あるとき、お釈迦様が病気になられました。その様子を見たある人が、お釈迦様に「悟りを開かれた方は病気に罹らないと思っていましたが、お釈迦様でも病気になられるのですね。」と意地悪く言ったそうです。
 すると、お釈迦様はこの言葉に対して、次のようにお答えになられました。「第一の矢は受けますが、第二の矢は受けません。」と。「第一の矢は受ける」というのは、悟りを開いた者でも、生身の身体がある限り、老いや病からは決して逃れられないことを指します。
 「第二の矢は受けない」とは、老いや病、そして死が襲っても、それによって苦悩させられることはないということです。
 ところが、私たちは元気なときでも、老いて寝たきりになったらどうしよう、病気になったらどうしようと、まだなってもいないことに思い悩むことがあります。?そして、いざ本当に寝込んでしまったときなどは、このまま治らないのではないか、悪い病気ではないだろうかと悩んでしまいます。
 ましてや、それが大変な症状であったならば、それこそ、このまま死んでしまうのではないだろうかと、いろいろと考え悩まされてしまいます。
 しかし、こうした私たちの普段の悩みは、人間の実相を知らず、苦悩の原因を考えることもなく、表面に現れたことだけに右往左往して悩まされていることに他なりません。
 これに対して、人間の実相を知り、苦悩の原因が何であるのかを諦かにしたならば、悩みの質自体が変えられて行きます。
 仏教は「人生は苦である」を根本命題として、その苦悩、原因を諦らかにして、それを解決して行く道であり教えです。

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