今月の法話 2011年10月

今日はいくつ「ありがとう」と言えましたか

 感謝や御礼の気持ちを表す言葉である「ありがとう」。これを漢字で書くと「有難う」になります。「有」は、存在する・あること・実在といった意味があり、また、「難」は、むずかしい・かたいといった意味があります。「ありがとう」は、あることがむずかしくてまれなこと、なかなかありそうもないこと、それがこの身に起こり、思わず感謝の気持ちを表すときに使う言葉なのです。
 ところが、現代に生きる私たちは、何もかもが当たり前になってしまい、「ありがとう」を言うことが少なくなっているように思えます。しかし、よく考えてみると、衣・食・住の全てにおいて、当たり前のことなど何一つ無いわけであって、あることがむずかしいものばかりです。
 東日本大震災で被災した、ある男の子(高校生だったと思います)が、地震に遭い津波で家が流されたことで、「当たり前の暮らしがどれほど有難いものだったか、初めて気付きました。」とインタビューで答えていたことを記憶している人も多いのではないでしょうか。
 当たり前に思っていることが、実はとても有難いことであり、その有難い中に、私たちは生かされているのです。命においても同様です。生きていて当たり前と思っている命も、実は死んで当たり前の命を生かされているのではないですか。
 全てのものに支えられて、あることがむずかしい命が今ここにある。そう気付かされたなら、自身の命を支え育むもの全てに「ありがとう」と感謝の言葉を言わずにはいられませんね。
 そうして、必ず死んでいかなければならない私の命全てをひっくるめて「任せよ」と常に働いて下さっている如来様への感謝の言葉が「南無阿弥陀仏」の御念仏です。

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