今月の法話 2011年9月

かんたんなことを 難しくしていく私 難しいことを かんたんにしていく仏

 私たちは多くの苦悩を持ちながら生きています。その苦悩を抱えて生きるしかない私たちの生き様を、「四苦八苦」といいますが、できればその苦悩から逃れたいと思うのも人情です。
 そこで、何とか苦悩を取り除こう、苦悩を避けて生きようと、これまた「四苦八苦」する私たちです。
 歳を取ると多くの人が罹る腰の病気を、ある女性が患いました。だんだんと痛みがひどくなってきて、立ち居振る舞いにも支障をきたすようになりました。そこで、何とか以前のように痛みの無い生活に戻りたいと、病院へ行ったのでした。ところが、最初に行った病院では「加齢によるものですから、完治はしません。」と言われてしまい、治せないとはどういうことなのかと腹を立て、お医者さんをヤブ医者呼ばわり。それでは、ちゃんと治してくれる御医者さんに診てもらおうと、色々と評判を聞きながら病院を渡り歩きましたが、結局は何処の病院に行っても治りません。最後は自分の腰に文句を言うしかありませんでした。ところで、このような生き方をしているのは、この女性ばかりではないでしょう。私たちも大同小異、似たような生き方をしているのではないですか。決して避けられない苦悩を自分の計らいで何かをすれば、どうにかすればその苦悩から逃れられるのではないかと、素直に現実を受け入れれば簡単なものを、難しくしているのが私たちの姿です。
 先ほどの「四苦八苦」という言葉を何気なく使う私たちですが、これが私たちの人生の姿、在り様を示す言葉なのです。
 「私たちの人生の本来の姿は苦悩である」ということは、仏教の人生観の根本命題なのですが、それを素直に受け入れられず、避けようともがいては、より深い苦悩の中に落ち込むしかない厄介な私たちです。
 その厄介な私たちを、そのまま全て引き受けて救い取って下さるのが仏様の働きです。この仏様の働きに気付かされたなら、同じ苦悩を受けながらも心が軽くなります。

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