今月の法話 2010年11月

なにげない一言によって 傷つき 一言によって救われる

 私たちは、「分別を持った大人になりなさい。」とか、「大人なのだからもっと分別を持って行動しなさい。」と言うことがあります。この「分別」を辞典で調べると、経験をつんで道理をわきまえること。その能力。(『講談社国語辞典』)社会人として求められる、理性的な判断。(『三省堂新明解国語辞典』)とありました。これらの意味によっても、「分別」は、私たちが社会的に生きていく上で大切なことであり、また必要であることが分かります。
 しかし、社会的に大切で必要な「分別」ですが、時として、他者を傷つける刃ともなることがあります。私たちが万人共通の社会通念と思っているこの「分別」も、実は各人の思いの中で形成されており、各人がそれぞれ異なる分別を持っているのです。もう少しいうなら、「分別」は、私たちの心のなかにある区別・差別の思いから現れてくるものと申し上げてもよいでしょう。それに気付かず、他者に自分の「分別」から言葉を発したとき、その何気ない一言が、知らないうちに相手の心を深く傷つけてしまうことが、実際にはよくあることなのです。
 そういう私たちの姿を知り尽くした上に、無分別を以って現れた「南無阿弥陀仏」というたった一言で、必ず救うと働く如来の慈悲があります。慈悲は区別・差別のない心であると同時に、それは全てのものの苦しみを自分一人が引き受け、安らぎ与える働きです。その慈悲の心から発せられた一言だけが、本当に私たちを救う働きとしてあるのです。

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