今月の法話 2010年5月

思い通りにならない人生に四苦八苦 苦しいのは生きてる証し

 私たちの幸福感はどういうものでしょう? 「思い通りに生きること」と答える方も多いのではないでしょうか。
 ところで、知人にこういう方がいます。彼は若い頃から、ある職業に就きたいといっていました。その思いかなって、大学卒業と同時に、その希望の職に就き、燃える思いでスタートを切りました。ところが、いざ入社してみると上司と意見が合わない、取引先とうまくいかない。そういう苦しみを抱えながらも、何とか我慢をしながらやってきましたが、今度は企業同士の合併で吸収される側となり、その苦労からとうとう身体を壊してしまいました。せっかく思い通りの仕事に就き、自分の力を発揮して、順風満帆な人生を送れるはずだったのに、苦しいことばかり。なぜこうなったのだ。自分の人生はこんなはずではなかったと、彼はいいます。しかし、このような思いをしている人は、彼だけではなく、多くの人が大なり小なり抱えている思いではないですか。
 私たちの人生は決して思い通りになるものではありません。それどころか、思い通りにならないのが、私たちの人生の真実なる姿です。それを思い通りに行かせようとするところに苦しみが生まれます。そもそも、仏教の出発点は、「私たちの人生は苦である」ということにあります。苦しみの人生でありながら、そう思わずに生きる私たちに、本当の姿を知らせて、その苦しみの中に終わらせはしません。本当の安らかな世界に生まれさせますと、常に働いて下さる如来様がいらっしゃるのです。思い通りにならないのが私の人生なのだ。そう知らされて生かされたならば、苦しみの受け取り方も違うものとなるでしょう。

印刷用PDFファイルはこちら
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード

法話バックナンバー