今月の法話 2009年6月

出遇わなければならない人がいる それは私自身

 これまで生きてくるなかで、心の底から尊敬するひとに出会うことができましたか?具体的な人間でなくても、こういう生き方をしたいと思わせてくれることばに出会うことができましたか?
 そういうひとやことばに出会うことができるかどうかは、私たちにとってとても大切なことのように思います。なぜなら、それが私たちの生きる方向性を与えてくれるからです。
 私は子どもの頃、いわゆる偉人伝を読むのが好きでした。野口英世の伝記に感動したことを何十年たっても忘れることができません。さまざまな不幸を乗り越えて梅毒病原体の研究で功績をあげ、また黄熱の研究中にこれに感染して、異国の地アフリカで死亡した話は少年の胸をしめつけるものでもありました。
 また吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の著書で語りかけられた課題は、いまも私の脊髄のどまん中に残っているように思います。それは、「みんなが生まれてきてよかったと思える社会を作ること」というフレーズです。混迷する社会の状況に振り回されて目標が、はるか遠くに行ってしまったように思うのですが、それでもこれを空想ではなく理想としたいと、いまでも思い続けています。さらに、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩は、愚直に生きたいという願いと損得でひとは動くべきではないという戒めを幼い私に与えてくれました。
 そして、不思議にも心に残ったのがお釈迦さまの伝記でした。それは理想とするには余りに抽象的で、けれども忘れてしまえない人物の物語でした。生まれてすぐに七歩歩んで右手は上を指さし、左手は地を指さして「天上天下唯我独尊」といわれたというのです。亡くなったときにはその死を悲しんで、動物たちまでさめざめと泣き、木々も白くなってしまったというのです。現実にあったと思われる話ばかりを読んでいた私には、お釈迦さまの伝記は最初から疑問を投げかけるものでした。けれども現実的ではないと捨ててしまうのには何故かひっかかるものがあって、そのお陰で私はお釈迦さまに関する本を何冊も読むことになりました。さらにお釈迦さまに向けられていた疑問は、その説いたことに従って生きた高僧伝に導いてくれたのでした。
 そのなかで少しずつ感じてきたのがお釈迦さまの伝記と他の偉人伝の違いでした。お釈迦さまの伝記は、あまりに抽象的過ぎるものでした。老病死という当たり前のことを大事のように考えたり、よくわからないさとりを得るために家庭や地位までも捨てた理由がさっぱりわからなかったのです。
 疑問を持ちつつも時は流れていきます。さまざまな体験を通して生き方の目標となった偉人達の足元にも及ばない自己が知らされてきました。さらにお釈迦さまの求められたものが、なぜわからなかったのかも少しわかってきたように思えます。
 お釈迦さまが求められたものは「さとり」でした。「さとり」とは何か。それは、本当の自己を知るということだったのです。お釈迦さまの自己を求める道のりのテーマは、老病死でした。「ひとはなぜ老いること・病を得ること・死ぬことをおそれるのか」~このおそれの核になっているものこそ、我執煩悩であることをお釈迦さまは発見されたのです。
 「出遇わなければならないひとがいる。それは私自身」という私こそ、煩悩にまみれた私です。でも、それは絶望の世界ではありません。本当の自己が知らされて、それ故に真に自由に羽ばたくことのできる世界が与えられておりました。

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