今月の法話 2008年9月

雨の日も 風の日も みな尊し

 世は健康ブームのようです。何か体にいいということがメディアで宣伝されたり、口伝えに広がるとワッとそれに飛びついて、大騒ぎになった光景を何度も私たちは見てきました。健康ブームというよりも、いつの時代にも人びとは「健康」にふり回されてきたのかもしれません。
 健康を否定するつもりもありませんし、せっかく出させていただいたひとの世ですから、体をいとい清清しい気持ちで暮らしたいものだと思います。しかし、残念ながら全く体の故障が起こらず、「ピンピンコロリ」と人生を終わることのできるひとは、きわめてまれだといわなければなりません。生身の体をいただいて生きる以上、いつ何が起こるかわかりません。
 ですから、いつ体の故障が起きるのかとビクビクしながら生活するよりは、何が起きてもそのことを淡淡と受容できる心を培う道を歩もうとすることの方が、現実的ではないかと私には思えてなりませんが、そのことを妨げる情報と誘惑が充満しています。
 私事ですが、病になって改めてそのことを思い知らされると同時に、お釈迦さまが人生の事実として「生・老・病・死」を見つめられ、この事実を如何に乗り越えていくかと道を説いてくださったことの重さをかみしめています。それは、たくさんの人びとが、老・病・死を受け入れることができなくて苦しんでいる様子に遭遇したからでもあります。
 相変わらず、「拝めば治る」式の宗教が跋扈しています。ときには、メディアまでが大真面目に後押ししています。そして、人びとのなかには、「テレビで言っていたのだから間違いない」と、簡単に迷わされていくひとがいます。これまでにテレビや新聞が、どれほどいい加減な情報で人びとを惑わしてきたことかと思うのですが……。かくして、怪しげな〝宗教〟や健康〝物品〟は廃ることがありません。
 最近のことですが珍しいひとに出会いました。鍼灸師をしているのですが、「私は三百歳まで生きる」というのです。はじめは冗談かと思いましたが、そうではありませんでした。本気でそう思い、健康と長寿のためにさまざまな努力をしているようでした。しかし、顔や体つきを見ると歳相応に老いていることが見て取れます。そのことは見えていないようで、他人の病気の評価をあっさりします。「頑固で他人の言うことを聞かないひとが脳梗塞になる。他人の悪口ばかり言っていると喉頭がんになる。あなたもこれまでの生活を反省して、身に合った生活をすると病気も良くなっていく。医療者として多くの患者を診てきてわかったことで、他の医療者には見抜けません。」
 すべて断定的に言うことばを聞きながら、他人の病気に関わる「医療者」にこういう人もいるものかと驚いたことでした。
 そして、これこそまさしく「仙経」だと思わずにおられませんでした。親鸞聖人は『教行信証』行巻の『正信偈』に、曇鸞大師の業績を讃えられる中で述べられています。

 「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」
(三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して帰したまひき)

 たかだか数十年長生きする道ではなく、未来永劫の寿命を得る道が、阿弥陀如来の願いであることを教えられ、曇鸞大師は仙経を焼き捨てられました。目が変わったのです。死んでよし、生きてよし。雨の日も風の日も、すべてが尊い。そういただいて生き抜く道こそ、本願念仏に生かされる世界でありました。

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