今月の法話 2007年12月

変わりゆくわたし 変わりゆく風景 変わらない親のぬくもり

 私が学生時代に通った通学路にはリンゴ農家が点在していて、秋にはたわわに実ったりんごの枝が垣根を越えて道路の上に飛び出していたものでした。手を伸ばせばつかむことのできるりんごを眺めながら学校に通っていました。かつては日本のどこにでもあった田園風景のひとつです。
 都市化の波は、そういう風景を一つずつ塗りかえていきました。農地が住宅地になり、さらにビルの林立する街になってきました。都市化とは、いわゆる都市化する街だけが変わっていくのではありません。都市化の裏側には過疎化する地域があります。シャッター街とか地域崩壊といわれる現象が、各地に起きています。
 都市化が進むなかで人びとの心も変わってきています。それは、都会に住む人びとだけではありません。かつて生まれ育った地域では、家に鍵をかけるということはほとんどなかったように思います。鍵をかけなければ危ないと親に教えられたこともありませんでした。けれども、都会といわず田舎といわず、どこでどんな事件が起きるかわからない時代と社会を私たちは生きています。情報が瞬時にマスメディアを通じて行き渡りますから、似たような事件が全国に頻発するということも起きています。
 そういうなかで私だけは変わっていない、変わらないと言い切れるかどうかと自問してみると、全く自信のない私がそこにはいます。バナナを一切れ食べたときに至福の思いをした幼いとき。バナナを丸ごと一本もらったときの喜びを、私はいまも記憶の底に留めています。けれども、山ほどのバナナが私の目の前にあって自由に食べることができるとしても、そこに無上の喜びをもはや感じることのできない私がいます。喜びがいつの間にか、当たり前になっているのです。
 愛し合って結婚して、喜びのなかで暮らしていた夫婦が、いつしか倦怠期を迎えて離婚したり、あるいはギクシャクした関係のなかで同じ屋根の下に暮らすということもあります。結婚したときと全く同じ思いで数十年を共に生きる夫婦は、きわめて珍しいのではないでしょうか。共に暮らした歳月だけ、その絆が深まっていく変わり方なら、申し分ないのですが・・・。
 そういうなかで、親が子を思う心は比較的変わりにくいものでありましょう。しかし、それも絶対的なものではありません。親が子を殺してしまう事件も、特に近年では珍しいことではなくなってしまいました。
 「子どもを産んだら親になるのではない。子どもと共に親となっていくのだ」といわれた先達がいます。子どもに教えられ、周りの人びとに導かれながらひとは本当の親となっていく道を歩んでいくのではないでしょうか。その歩みの全体を、子は親の変わらぬぬくもりと受けとめていくように思います。
 先人は阿弥陀如来を敬慕の思いを込めて、「親さま」といってきました。「生きとし生ける者の苦悩はわが苦悩」「あらゆるいのちが迷っている限り、私はさとりを取らない」との誓いと願いを、聖人は「親鸞一人がためなりけり」と常に言われていたといいます。そして、阿弥陀如来のはたらきかけを父や母のごとくともいわれています。究極の親のありようを如来の本願に先人は学んだのです。
 北陸や安芸では、かつて間引き(中絶)がなかったと聞きます。どんなに貧しくとも、授かりものとして子を慈しみ育てていく・・・そこにはお念仏が躍動していたように思えてなりません。

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