今月の法話 2025年12月

私のいのちは「いのち」でできている

今月の法話 2025年12月

 全ての人間にとって両親は2人です。しかし、両親がいるだけで私たちは誕生しませんね。自分の両親を生んだそれぞれの両親、そのまた両親といのちの連続性の中から私達は生まれる事が出来ました。両親は2人、祖父母は4人。曽祖父母は8人。さらに一代遡(さかのぼ)るごとに16人、32人、64人、128人と祖先は増えていきますね。10代遡(さかのぼ)ると2,046人、さらに20代遡(さかのぼ)ると209万7150人。30代は21憶4748万3646人という途方もない祖先の数になりますが、実数は違っているようです。実際にそこまで多くないにしても、これだけの祖先がいてくれたからこそ、今の私のいのちであるという事は間違いのない事実です。しかもその多くの祖先のうち、誰かが次の代を生む事なく命終していたら、次の代もその次の代も生まれることなく、この私は生まれていなかったのです。
 私達は「この世に生まれよう」と思い立って生まれてきた訳ではありません。物心ついたらある親の子としてこの世に生まれ出ていたのです。ですから自分の存在に関わる全ての条件を自分で選ぶことは出来ないのです。生まれる時代・人種・国・地域、そして親すらも選んではおりませんし、親も子を選ぶことは出来ないのです。私のいのち全体がまさに「いただきもの」としてここに存在せしめられてある、という事なのです。いのちといのちが縦横無尽につながり合う事を仏教で“縁起”といい、私の意志を超えた世界から私がいのちをたまわる事実を“無我”とも“非我”とも言うのです。
 一方で私達はそうした「いのちの事実」を知っているでしょうか。道理として知ってはいるかもしれませんが、その事実を深いところで受け止めて、自(おの)ずからと沸き起こってくる謝念や感動とは遠い世界で生きているのがお互いではないでしょうか。真実のいのちの世界を遠ざけて、「自分が正しい・自分は自分の力で生まれ生きている」と顛倒(てんどう)し、自己中心に生きる在り様を“迷いの存在”と仏教では言います。
 仏教は迷いを転じて悟りへと向かう宗教です。これを「転迷開悟」といいます。親鸞聖人は「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり(一切の生きとし生けるものは、全て皆、つながり合っていて父母であり、兄弟である)」とおっしゃっています。深いいのちの事実に目覚めたお言葉です。
 私達もまた、自己中心的な「迷いの人生」に終わることなく、仏教の深い道理といのちの事実に目覚めた「心豊かな人生」を送りたいものですね。

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