お見舞い
新型コロナウイルス感染症により多くのお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。また、罹患されている皆さまに心よりお見舞い申しあげます。そして高い感染リスクにさらされながらも、日夜、懸命に治療・対策にあたられている医師や看護師をはじめ医療に従事されている多くの方々に深く敬意と感謝を申し上げます。
札幌組は、全国的な緊急事態宣言を受け、感染拡大防止のため行事等縮小の対策を講じることとなりました。門信徒を含め多くの皆さまにはご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申しあげます。
なお、各寺院の詳細な対応につきましては、それぞれの寺院にお問い合わせくださいますよう、お願い申しあげます。
札幌組組長 石堂了正
今月の法話 2026年1月
仏法は本当の私をうつす鏡
この法語を見て皆さんはどう思われましたか。
何をもって「本当の私」というのでしょうか。もし本当の私というものがあるとすれば、私は本当の私を生きていないのだろうか。本当の人生を歩んでいないのだろうか。「本当の私」とはどういう事なのか。さまざまな事が頭の中をかけめぐりました。
仏教(浄土真宗)にはこう生きる、という定型的な生き方は無いと思います。一人ひとりが仏教に問い訪ね自らの生き方をつくり上げていく、という事なのだと思います。
お釈迦さまがお亡くなりになろうとするその時、お弟子さんが「お釈迦さまがいなくなったら、私達はどうしたら良いのでしょうか。分からない事や迷った時はお釈迦さまに聞いておりました。お釈迦さまがいなくなったらそれができなくなります」、とお釈迦さまにお尋ねしました。
お釈迦さまは「自らを灯火とせよ、法を灯火とせよ」、とご遺言で残されました。
中国、唐の時代に善導というお坊さんがおられました。法然聖人や親鸞聖人がとても敬慕されたお方です。その曇鸞大師のお言葉に
「経教(きょうきょう)はこれを喩(たと)うるに、鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば智慧を開発す」(観経疏)
があります。お経は仏教の教えであり、鏡であるという事です。なぜ私達に鏡が必要なのでしょうか。
私達は毎朝洗顔や出かける時に鏡を見ますね。それは身だしなみを整えるためです。一方で心の身だしなみはいかがでしょうか?時折自分の生き方を振り返り、放逸に生きてはいないか?自己中心的になってはいないか?人を傷つけてはいないか?そんな風に自分の生き方を振り返る事が無ければ、周りや時代に流され、挙げ句の果てに自分に流されて人生を終えかねません。難しいのは自分で自分を振り返っても客観的に見る事が出来ずらいという事です。それは常々「自分は正しい」、「自分は他の命の世話にならずに自分の力で生きている」という、抜き難い我執の持ち主が他ならぬこの私だからなのです。「鉄砲(てっぽう)は人をうち、仏法(ぶっぽう)は己をうつ)という言葉がありますが、ややもすると自分が正義になり、あれが悪い、これが悪いと周りを責め立てる生き方が私達ではありませんか。「そういう人生で終わってくれるなよ、法を灯火とする人生。法を灯火とした自分をよりどころにして生きて下さい」というのがお釈迦さまのご遺言でした。
お寺の本堂に座り、法話を聞き仏さまの教えを聞き続けていく。あるいは心の鏡としてのお仏壇の前に座り、日常を振り返ってみる。そうした歩みがお釈迦さまの「法を灯火とし、自らを灯火とする」人生に転じられていく事でしょう。
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