今月の法話 2026年9月

安心して苦悩できる 念仏の世界

今月の法話 2026年9月

 私の両親は十一人の子宝に恵まれましたが、五人の子に先立たれています。母は日暮しの中で、一人ひとりの臨終のさまを一人語りのようによく語っていました。
両親が八十をとうに過ぎた時、一番上の兄の五十回忌が大勢の親族と共に勤められました。お勤めが終わり父が挨拶をし、今際(いまわ)の際(きわ)、抱きしめた腕の中のわが子に次のように語りかけたというのです。「ののさま(阿弥陀さま)の処に先に行っていてね。お父ちゃんもお母ちゃんも必ず後から行くからね。先に行って待っているんだよ」と。幼い兄は「うん」と頷き、ほどなくして亡くなっていきました。父は往時を思い起こすようにそう語った後、こう続けました。「息子を亡くすまでもお念仏をいただいて生きていたけれども、息子の死がより一層、私をお念仏の世界へと導いてくれる機縁となり、僧侶としての自分を育ててくれました」と。私は深い感慨と共にこの光景を忘れることが出来ません。
 今月の法語カレンダーの言葉は「安心して苦悩できる 念仏の世界」です。一般的に「苦悩」と「安心」は両立しえない対立概念だと思います。しかし、仏教、とりわけ浄土真宗は相反する二つの事柄が、相反したまま両立するという不思議な構造を持っています。これを西田幾多郎という哲学者は「絶対矛盾の自己同一」と表現しました。矛盾した二つの事柄が、矛盾したまま同一になっていくのだと。何故か。
阿弥陀さまは「あなたの苦しみは私の苦しみ」、「あなたを決して一人にはしない」という願いを立てて仏さまになられました。親鸞聖人そのことをご和讃に

如来の作願(さがん)をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして 
回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり
(阿弥陀如来が、私たちを救うという願い<本願>を起こされたその事を尋ねてみると、様々な苦しみを抱えて生きる私達を決して見捨てないためでした。
 阿弥陀さまの功徳を私達に差し向け、「南無阿弥陀仏」というお名号の中に、その広大なる慈悲の心を成就されたのです)。

としたためられました。
 阿弥陀さまの願いが私達に至り届いて「亡き人はお浄土に生まれて仏さまになっていく」という世界をたまわる事が出来るのです。ですから父は亡きわが子は浄土に生まれ、仏さまとなってこの父を導いてくれた、といただくことが出来たのでしょう。わが子を亡くした悲しみは悲しみとして、還相(げんそう)摂化(せっけ)のはたらきによってお念仏の安らぎの世界をいただいたのでした。それは「悲しみだけに終わらせない」、という阿弥陀さまのお念仏の世界でありました。
※還相摂化(げんそうせっけ)…亡き人が浄土往生して仏に成った後、現世に還(かえ)って生前ご縁のあった人々を仏法に導くはたらき。

印刷用PDFファイルはこちら
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード

法話バックナンバー