弱きもの 小さきものを ことに憐れむ
智慧と慈悲の仏さま。それが阿弥陀仏の本質です。今月は慈悲について考えてみたいと思います。慈悲の慈はインドの言葉でマイトリーといい、「見返りを求めない慈しみ」をいいます。悲もインドの言葉でカルナといい、語源は「うめき」からきています。また悲という字は鳥の両翼が引きちぎられる心情を表していますので、そうした苦しみ・悲しみを表すのがこの字の意味するところです。阿弥陀仏という仏さまは“一切の生きとし生けるもの”の苦しみ悲しみに寄り添い、共感し見返りを求めない慈しみの心を振り向けるはたらきをする仏さまなのです。
さらに慈悲について仏教では小中大の三つに分けて考えます。小悲(衆生縁の慈悲)は、家族や親類、友人知人などに対しての限定的な慈しみの心。中悲(法縁の慈悲)は仏教の教えに出遇い、自分が金品や物質的なもの、愛や自分の若さや命になど、あらゆるものに執着している迷いの存在と知らされながら、なおそれから離れ出ることのできない状態での慈悲です。大悲(無縁の慈悲)は、縁の有る無に関わらず全てのいのちに対して平等に向けられる慈悲で、仏の慈悲のことを言います。
親鸞聖人がご在世の頃にも、「屠沽(とこ)の下類」と世間から蔑(さげす)まれる人々がいました。親鸞聖人は「屠(と)は、よろずの生きたるものを、殺し、ほふる(切りさばく)者なり。これはりょうし(猟師)というものなり。沽(こ)は、よろずのものを、売り買う者なり。これは、あきびと(商人)なり。これらを下類というなり(唯信鈔文意)」と書き残されました。当時、猟師や商人達は、最下層の者たち(下類)と位置づけられ差別されていたのです。
親鸞聖人は35歳の時いわれなき咎(とが)を背負わされ、越後(新潟県)に流罪の身となりました。都の京都から辺鄙(へんぴ)な地方に流されて、ご自身が罪人の身となり世間から疎(うと)んじられ、初めて世の中で蔑(さげす)まされ苦しみながら生きる底辺の人々の気持ちに共感出来たのではないでしょうか。
「りょうし(漁師)・あき人(商人)、さまざまの者は、みな、いし・かわら・つぶて(礫)のごとくなる我らなり」と社会の最底辺にうごめく人々と同じ地平に立たれました。
さらに「如来の御ちかいを、ふたごころなく信楽すれば、摂取の光のなかにおさめとられまいらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまうは、すなわち、りょうし(漁師)・あき人(商人)などは、いし・かわら・つぶてなんどを、よく黄金(こがね)となさしめんがごとしとたとえたまえるなり(唯信鈔文意)」」と阿弥陀仏の「一切の生きとし生けるを必ず救う」という光のはたらきにおさめとられ、最下層の人々が黄金(こがね)のような存在なる事のできる世界を賜わる、と述べられ、阿弥陀仏の大悲はあまねく人々、とりわけ世の最底辺で呻吟(しんぎん)する人々に向けられていることを示されています。
今なおいわれなき差別の中に、そして「負け組」と嘲笑され呻(うめ)きながら生きる人々にこそ、阿弥陀仏の大悲は至る届いているのです。
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