なまんだぶ 私に届く 弥陀の願い
随分と昔の話になりますが、私たち夫婦は結婚して八年目に第一子が授かりました。子の誕生前から妻は着ぐるみやオムツ(当時は布製でした)、ベット等準備をしていました。産まれた赤ちゃんは自分では何もすることが出来ませんし、「オムツを替えてほしい、ミルクを欲しい」と口に出すことも出来ませんから、それらを察知しながら面倒をみていました。そしてわが子の名前を呼び、「お母さんだよ」と語り続けました。
少しずつ成長したわが子はたどたどしくも「お母さん」と呼び始めました。ですが妻は最初から母ではなく、わが子を育みたい、幸せにしたいという慈しみの願いとはたらきが先んじてあったればこそ、わが子は「お母さん」と母の名を呼ぶようになったのでした。
阿弥陀さまも同じで最初から阿弥陀仏という仏さまではありませんでした。法蔵という菩薩が「一切の生きとし生けるものを救う」という誓願を建てられ、それが成就して仏に成られたのが阿弥陀仏という仏さまなのです。阿弥陀さまは迷いの存在である私達を救わんとして立ち上がってくれた仏さまなのです。
親鸞聖人は私達人間の迷いのありようについて「一念多念文意」という書物に、
「凡夫といふは、無明(むみょう)煩悩(ぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、怒り、腹立ち、そねみ、ねたむ心多くひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、消えず、絶えず」
(凡夫というのは、 わたしどもの身に無明煩悩(真実に暗い迷いの心)が満ちみちており、 欲望も多く、 怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起ってきて、 まさに命が終ろうとするその時まで、 その心が止まることもなく、 消えることもなく、 絶えることもない)とお示しになられました。
そうした生き方を自分の力では抜け出すことが出来ず、空しい人生で終わりかねない私達のために立ち上がり、誓願を起こされ、悩み苦しみ多きこの世の只中に「我にまかせよ、汝を摂めとって必ず救う」とはたらき続けているからこそ、「阿弥陀仏」と名づけられたのです。
親鸞聖人はご和讃に
十方微塵世界の(数限りない全ての世界の)
念仏の衆生をみそなはし(念仏するものを見通され)
摂取してすてざれば(摂め取って決してお捨てにならないので)
阿弥陀となづけたてまつる(阿弥陀と名づけたてまつる)
と詠まれました。
「南無阿弥陀仏」という声の仏さまとなって、いつでもどこでも「必ず救う」と立ち上がって下さった阿弥陀さまの願いとはたらきはすでに私の元に至り届いています。
「み仏を呼ぶわが声は み仏の われを喚(よ)びます み声なりけり」
終生を女子仏教教育とお念仏に生きられた甲斐和里子女史はこう詠まれ、私が称える念仏はそのまま、阿弥陀さまの「私を必ず救う」という喚(よ)びこえでありました、といただかれたのでした。
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