皆が仏の子 おそだていただくお働き

親鸞聖人は九歳の時に出家され、比叡山の厳しい仏道修行の世界に入られました。母親と死別、お父さんとも生き別れになったゆえの結果でありましたが、どれだけ寂しいく辛かった事でしょうか。
親鸞聖人は二十九歳迄の二十年間、ひらすら念仏を称え続ける厳しい修行をされたようですが、このまま修行を続けても自分の力で悟りを開くことが出来ない事を感じ、比叡山を降りて、聖徳太子が建てた京都の六角堂(救世観音がまつられている)に百日間参篭(さんろう)されました。その後吉水にある法然上人の庵(いおり)を訪ねられ、それから百日間続けて法然上人の説くお念仏の教えを聞き続けました。そして「このお念仏の教えこそが自らが救われ、且つ一切の生きとし生けるものが救われていく教えだ」、と実感し、自力の仏道修行を捨てて他力浄土門(阿弥陀仏の救い)の道に入られたのでした。法然上人との出遇いが無ければその後の親鸞聖人の歩みはなく、浄土真宗という宗派がこの世に誕生することも無かった事でしょう。
後に親鸞聖人は師の法然上人を讃えて
「阿弥陀如来来化してこそ 本師源空としめしけれ」
(阿弥陀さまが 私の師・法然上人となってこの世にお出ましになられた)
「本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし」
(わが師匠の法然上人がおられなかったら 私の人生は空しく過ぎた事であろう)
また、
「たとい地獄なりとも 故上人のわたらせたまうところへ まいるべしとおもうなり」
(たとい地獄であったとしても 私は法然上人にいらっしゃる所へ参りたいと思う)
と、本師である法然上人(源空)と出遇えたことの有り難さと慶びを和讃にしたためられました。ここまで自分の師匠を信頼し尊敬し、そして随順出来るという事はめったにあるものではありません。
思えば私達の人生も「出遇い」という事がとても大切だという事に気づかされます。私は大学を出て僧侶になって右も左も分からなく、確たる信念も無くこれからどうして生きていくのか迷っている時にさまざまな先輩僧侶と出遇い、多くの刺激を感じて「自分もあのような僧侶になりたい」と思った事でした。また、僧侶のみならず先にお浄土へ往かれた多くのご門徒の方々との出遇いにもまた「お育て」をいただいた事でありました。吉川英治の「我以外皆我師(われいがい みな わがし)」との金言が胸に響きます。
自分を育ててくれるさまざまなご縁を阿弥陀さまの「おはたらき」として、有り難くいただく人生でありたいと思います。
印刷用PDFファイルはこちら
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード