眠れぬ夜に そっと寄り添う「なんまんだぶつ」
「独生独死 独去独来」…。齢を重ねると共にこの言葉が胸に響くようになりました。今は夫婦そろって元気に日暮らし出来ていますが、人生は老病死という苦(思い通りにならない)の境涯です。少しづつ体が衰え意のままにならなくなっていく事でしょう。
木村無相(1904~1984)さんという念仏者がおられました。私生児として育てられ、三才の時に朝鮮・満州に渡るも十七才の時一人で帰国、この時、親鸞聖人の語録とされる「歎異抄」に出会いました。二十歳の頃、ふっと自分の内心に目が向き、両親を怨む自分の根性のひどさに驚いて道を求め始めましたがそれでも尚、二度の自殺未遂をされました。
それがきっかけで煩悩(ぼんのう)を断じて涅槃(ねはん)を得ようと求道の生活が始まり、高野山に入って真言宗の学問修行をしましたが、三十一才の時に、「自力の真言は難しい、如来さんに助けて貰う」と親鸞聖人の教えにたどり着きました。結局真言宗と浄土真宗を三度も往復された後、浄土真宗の教えに帰依されていきます。
その後、東本願寺同朋会館の守衛を勤め、六十六才の時七十日間かけて親鸞聖人御流罪の地を巡りました。身寄りのなかった無相さんはお同行のお世話をいただいて、六十九才の時福井県にある老人ホーム太子苑に入居されます。狭心症や心筋梗塞という病魔に冒されながら、七十九才で浄土往生されました。
その木村さんが病床にあって次のような詩を残されています。
老人ホームの一室で
血圧が悪くて一人寝ていると
ナンマンダブツ様がおっしゃるには
ここにおると ついておると
はじめて知った
如来さまの居どころ
寸時も離れたまわずに
ここにおると ついておると
ナンマンダブツ ナンマンダブツ
ナンマンダブツ ナンマンダブツ
木村さんは老苦・病苦の中にあって孤独であって孤独ではない晩年を送られたのでした。自分一人ではない、阿弥陀さまが「ここにおるぞ、ついておるぞ」と片時も離れず、お念仏となっていつも自分と共にいてくれている、といただかれたのでした。
私達もまた、寂しさと虚しさという孤独に生き・最後を迎えるのか。お念仏と共に阿弥陀さまに抱かれる最後を迎えるのか、心して自分自身に問うてまいりたいと思います。
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