今月の法話 2022年3月

自分のことなのに 知らなかった身勝手さ

 この冬の札幌は、報道されているように大雪になりました。札幌駅発着のJRが全て運休になり、路線バスは道幅が確保できなくて運休になり、主要幹線道路も除排雪が進まずあちこちで車の大渋滞が起きました。住宅街の生活道路では車一台がなんとか通れるくらいの道路幅しかなく、前方から車が来るとお互いに譲り合って走らないといけません。時には車のタイヤが柔らかい雪にはまってしまい動けなくなることもあります。
 冬に車を運転している時は、歩道がなく仕方なく雪で狭くなった車道を歩いている歩行者の方がいると「危ないなぁ、こっちは急いでいるのだから歩行者はもっと道路の端を歩いてよ」と思うことがあります。逆に道路を歩いている時に前後から車が来ると「危ないなぁ、こっちは歩行者なんだから私のすぐ近くを通らないでよ」とか、「危ないなぁ、歩いている私の横をもっとゆっくり通ってよ」と思います。つまり自分の置かれる立場によって真逆の感情が湧き起こってきます。車を運転している時は歩行者を邪魔に思い、道路を歩いている時は車を邪魔に思うのです。車を運転したり、歩いたり、どちらも自分が置かれる立場なのに、その立場によって自分勝手な感情が次々と湧いてくるのです。
 そんな自分のことを中心にしか考えることの出来ない身勝手な私のことを親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」と教えてくださいました。この凡夫というのは、自分以外の他の誰かのことを指しているのではなくて、阿弥陀様のはたらきに照らされて見えてきた本当の私の姿のことを指しています。

「凡夫」
親鸞聖人は仰せになる。
「凡夫といふは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおほく いかり はらだち そねみ ねたむこころおほくひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず」
凡夫は、命終わるその瞬間まで、煩悩から離れられないものを言う。すべてのことを私中心にみて争いをおこし、欲望・怒り・妬みに、心と体を悩ませ苦しみ続ける。
仏法に出あうとき、煩悩に満ちみちている凡夫は、他の誰のことでもなく、この私のことと気づかされる。念仏申すひぐらしの中に、ありのままの私の姿を見せていただく。
本願寺出版社『拝読 浄土真宗のみ教え』

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