今月の法話 2021年9月

移り変わる時代 歳をとる私 変わらない 仏の願い

 人生100年時代と言われています。医療が進歩し、健康意識も高まり2020年の日本人の平均寿命は女性が87.7歳、男性が81.6歳です。今後、ますます医療は進歩しさらに健康志向も高まって、我々の寿命は100歳くらいまで延びると予想されています。しかしながらどれだけ私たちの寿命が延びても、すべての生命のDNAの中には「死」という指令が組み込まれており、命あるものはけっして死を免れることはできません。どれだけ科学が進歩し生活が便利になっても生老病死という人生の根本の苦悩はなくなりません。その中で何を頼りにして生きていけばいいのでしょうか。
 『歎異抄』の後序に

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」
現代語訳「わたくしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ阿弥陀如来の本願の念仏だけが真実なのである」
『歎異抄(現代語版)』本願寺出版社

 とあります。私たちの人生において唯一あて頼りになるものはお念仏、「南無阿弥陀仏」ですよと親鸞聖人はお示しくださいました。どれだけ時代が変化しても、私が歳をとってもお念仏をよりどころとして生きていくのが念仏者の生き方です。
 こころで仏教の時間のお話をします。『正信念仏偈』に「五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方」(五劫もの長い間思惟してこの誓願を選び取り、名号をすべての世界に聞こえさせようと重ねて誓われたのである)とあり、「五劫」という言葉ができます。これは阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、すべてのものを救うために思惟された時間の長さです。「劫」とはサンスクリット語のkalpaに相当する音写で、古代インドにおける最長の時間の単位です。「劫」の時間の長さは「磐石劫(ばんじゃくこう)」もしくは「芥子劫(けしこう)」で説かれています。
 「磐石劫(ばんじゃくこう)」であわらす「劫」の長さは、四十里(160キロメートル)四方の大きな岩があって、カーシー産の羽衣で100年に一度、サーッと軽くその岩を払い、その摩擦によってその大きな岩が完全になくなっても劫は終わっていないとされます。次に「芥子劫(けしこう)」とは、四十里四方の鉄城があり、その中に芥子を充満し、100年に一度、一粒の芥子を持ち去って、すべての芥子がなくなったとしても、まだ劫は終わっていないとされます。つまり、「劫」とは気が遠くなるような長い時間を表しています。億劫(おっくう)は1億の劫で、本来は極めて長い時間をいったのですが、時間が長くかかってやりきれない意味で、面倒くさいことを「億劫」というようになりました。
 宇宙が誕生してから消滅し一切何もなくなるまでの時間の長さが「四劫」とされており、私を救うための法蔵菩薩の「五劫」思惟は、宇宙誕生から消滅までの長さを超えているということになり、それほど私たちは救われがたい存在であるということです。どれだけ時代が変化しても阿弥陀様からの「劫」をも遥かに超える、はかることの出来ない「無量寿」の願いとはたらきがこの私に今届いています。

印刷用PDFファイルはこちら
PDFファイルをご覧いただくには、Adobe Reader(無料)が必要です。ダウンロード

法話バックナンバー