今月の法話 2020年1月

悔い嘆く 私を包み込む ぬくもり

 私たちは時に過去の行為に対して悔んだり嘆いたりします。過去は常に過ぎ去っていくものですが、過去の積み重ねによって現在の私たちは作られています。それでは過ぎ去った過去の時間は、一体どこへ行ったと思いますか。過去は記憶として残っています。たとえば学校で勉強や部活動に励んだ頃、仕事に懸命に打ち込んだ頃、子育てに夢中になっていた頃、というように過去は記憶として残っています。しかし記憶は、経験した過去そのものとは異なります。“今”という時点に記憶として残っていることです。完璧に固定された記憶などありえず、過去はいくらでも自分の都合のいいように作り変えたり、脚色したりすることができます。
 私たち人間は、あの時間はもう戻らないのだと懐かしんだり、もっとこうすればよかったと後悔してみたりして、実体のない過去にこだわり続けてしまいます。しかし、実体のない過去にこだわるよりは、この先いかに生きていくべきかをしっかり考えた方が建設だと思いませんか。未来は現在が決めるものだし、現在は過去からの集積の結果です。もしもこの先、私たちが深刻な罪を犯してしまったら、未来だけでなくこれまでコツコツと積み重ねてきた過去も否定されてしまいます。つまり「未来が過去を決める」と言えます。言い換えれば「これからがこれまでを決める」とも言えます。
 私たちは過去のことはわかり、未来のことはわからないと感じていますが、未来というものも冷静に考えてみれば、ある程度はわかります。しかも私たちは、未来を変える自由を“今”持っていて、未来を変えれば、過去も変えることができます。少なくとも過去の価値観を変えることはできるのです。過去にこだわり続けることにはあまり意味がありません。大切なのは“今”を生きること、そして未来(後生の一大事)に目を向けることです。
 浄土への人生を実現させるためには、私の全てを包み込む阿弥陀様の願いを聞くことがとても大切です。浄土への人生に向けての第一歩であるお寺へ足を運び、ご法座で阿弥陀様の願いをお聴聞することによって、むなしく終わることのない浄土への人生を歩むことができます。今年もお寺へお聴聞に行きましょう。
引用文献 佐治晴夫著『夢みる科学』『THE ANSWERS すべての答えは宇宙にある!』

「浄土への人生」

 阿弥陀如来は、煩悩によってさとりに至ることのできない凡夫を哀れみ、あらゆる功徳を南無阿弥陀仏に込めて私たちにふり向けておられる。
 親鸞聖人は仰せになる。

臨終一念の夕 大般涅槃を超証す

 いのち終えるとき、すみやかに浄土に生まれ、この上ないさとりを開かせていただく。南無阿弥陀仏のはたらきに出あうものは、むなしい迷いの生を二度とくり返すことはない。
 如来のはたらきに出あう人生は、無常のいのちを生きながら、かならずさとりの浄土に生まれゆく、むなしく終わらぬ人生である。
『拝読 浄土真宗のみ教え』

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