今月の法話 2019年7月

我が身の姿が知らされ 我が頭が下がる

 そろそろ本格的な夏のシーズンを迎えます。夏のバーゲンの時期です。皆さんは「半額」というタグがついていたらどのような気持ちになりますか。あっ、これは買わなきゃ損だ!と思って本当に必要かどうかを後回しにしてその商品を購入したという経験をお持ちの方もおられると思います。私たちは常に欲望という煩悩を湧き起こしながら生活しています。あれが欲しい、これも欲しいという欲望はとどまることを知りません。たとえ欲しいものを手に入れても、手に入れた瞬間に次に欲しいものが出てきます。

 南米のブラジルとアルゼンチンとの間にウルグアイという国があります。そのウルグアイの元大統領でホセ・ムヒカという方がおられます。その方は世界で最も貧しい大統領とも言われていました。乗られている車はもう何十年も前の古い車を大切に乗り続け、自宅の庭で家庭菜園をし、外国訪問の際も出来る限りエコノミークラスを利用されていたようです。ホセ・ムヒカ元大統領は貧しい人とはどんな人のことを言うのか述べておられます。貧しい人とは「モノを持っていない人ではなく、いくらモノがあっても満足できない人」であると。私たちの家には沢山のモノであふれています。体は一つしかないのに沢山の衣服を所有し、冷蔵庫の中にも沢山の食品が詰め込められています。

 『仏説無量寿経』の中には「少欲知足」という言葉が出てまいります。少ない欲で足ることを知るという意味です。モノに満ち溢れた世界において「少欲知足」の実践こそが自他ともに心豊かな社会が実現される第一歩です。我が身の姿が知らされ、我が頭が下がる毎日です。

「凡夫」
親鸞聖人は仰せになる。
「凡夫といふは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおほく いかり はらだち そねみ ねたむこころおほくひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず」
凡夫は、命終わるその瞬間まで、煩悩から離れられないものを言う。すべてのこと私中心にみて争いをおこし、欲望・怒り・妬みに、心と体を悩ませ苦しみ続ける。
仏法に出あうとき、煩悩に満ちみちている凡夫は、他の誰のことでもなく、この私のことと気づかされる。念仏申すひぐらしの中に、ありのままの私の姿を見せていただく。『拝読 浄土真宗のみ教え』

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