今月の法話 2017年7月

貧しいとは わけることも 足ることも 知らないこと

 ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領は、「貧しい人とは少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲がいくらあっても満足しない人である」と言っておられます。多くの富をごく一部の人のみが独占している世界を豊かな世界と言えるでしょうか?
 お釈迦様が修行されて悟りを開き、布教の旅をされた地域(ビハール州)はインドの中でも最も貧しい地域です。今でも機械ではなく牛が畑を耕し、ガスや電気などのインフラが十分に整備されていないため、多くの人々は火を焚きながら生活しています。そのお釈迦様が歩まれた場所が舞台になっている小説があります。遠藤周作著の『深い河』です。内容には深く触れませんが、本の中でツアーガイドの江波が旅行者にどうしても見て欲しいというヒンズー教の女神像があります。小説の中で江波が女神像について次のように説明しています。
 「彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこには蠍(さそり)が噛みついているでしょう。彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです」「彼女は…印度人の苦しみのすべてを表しているんです。長い間、彼等が苦しんできたすべての病気にこの女神はかかっています。コブラや蠍の毒にも耐えています。それなのに彼女は…喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている。これが印度です。この印度を皆さんにお見せしたかった」
 その女神像は「チャームンダー」という名前でインド・デリー国立博物館に今も展示されています。

「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる」『正像末和讃』

 日々の暮らしの中でどれだけ沢山お金や物を手に入れても私たちの欲望は決して満たされることはありません。もっと欲しいという貪りの心が常にあります。「少欲知足」という言葉が『仏説無量寿経』の中に出てきます。「少ない欲で足ることを知る」という意味です。
「今、すべての人びとを救おうという阿弥陀仏の本願のお心をお聞きし、愚かなる無明の酔いも次第にさめ、むさぼり・いかり・おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」『親鸞聖人御消息』
 私達も少しでも阿弥陀様のおこころにかなう生き方を目指し、お寺にお聴聞に行きましょう。

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