今月の法話 2016年2月

願われて 照らされて お陰さまで 生かされる

 先月、家族で札幌市内のホテルに宿泊しました。子どもが冬休み中、家族でどこにも出かけていなかったので妻と相談した結果、家から車で20分の市内のホテルに宿泊することにしました。
 宿泊当日は法務がありホテルにチェックインしたのが夕方6時過ぎ。すぐにホテルのレストランに夕食を食べに行きました。レストランはとても天井が高くて開放的で、料理も沢山あり、どれもとても美味しそうです。欲張りな私は何度も何度も料理を取りに行きました。普段、家で食事を食べる時はそれほど沢山の量を食べないのに、こういう時は「食べなければ損だ!」と思ってお腹が一杯になっていても無理して食べるのです。宗祖はそのような私のことを「凡夫」とお示しくださっています。

「凡夫といふは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおほく いかり はらだち そねみ ねたむこころおほくひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず」『一念多念文意』

「凡夫は、命終わるその瞬間まで、煩悩から離れられないものを言う。すべてのこと私中心にみて争いをおこし、欲望・怒り・妬みに、心と体を悩ませ苦しみ続ける。仏法に出あうとき、煩悩に満ちみちている凡夫は、他の誰のことでもなく、この私のことと気づかされる。念仏申すひぐらしの中に、ありのままの私の姿を見せていただく。」『拝読 浄土真宗のみ教え』

 仏法に出あうとき、阿弥陀様に願われていることに気づく私、そして阿弥陀様にいつも照らされている煩悩具足の凡夫の私の本当の姿に気づかせていただき、お蔭様に生かされている私に気づかせていただくのです。

合掌

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