今月の法話 2013年2月

迷い苦しむ中で 真実のよろこびを知る

 私達の人生は幸せな事よりも悲しい、苦しい、辛いことの方がずっと多いようです。
 愚痴をこぼしたり、何かに当たってみたり解消方法はそれぞれであります。しかしどんなことをしてみても解決にはなりません。一時しのぎに逃がれられたとしても、現実に戻ってみますと、なお虚しさが増すばかりでありましょう。今、日本では依存症という病気が社会問題化しています。お酒、ギャンブル、果ては麻薬、パソコン、携帯など、これらも一時しのぎの解決として逃げるのでしょうね。気持ちはわからないこともないのですがどこかで行き詰まってしまう事でしょう。
 かとうみちこさんは一九四九年、埼玉県鳩ヶ谷市生まれ、高校生のときに 「無腐性壊死」 という難病にかかり、現在も難病と闘いながら、作詩、講演、司会等で活躍しています。この病気は、細胞が死んで、骨が腐り、代謝不能のために一時は体重が二十二キロ、血圧が60-30と最悪の状態になり、3000㏄の輸血によってようやく一命をとりとめました。二十二歳のとき、歯は全部欠けて、総入れ歯にしました。二十歳の時には、七十歳の老女に見られたそうです。生きる気力を失い笑い方も忘れ、人を妬み、自分自身を呪うような人生を送っていたと言います。そんなとき中国で政治犯として、戦後も監房生活を十五年続けられました、城野宏さんとの出会いがあります。「自分に悪いことばかりを考えずに、良いこともならべてみたら・・・・病気を持っているけれど、目も見えるじゃないか、片足も使えるじゃないか」と。
 みちこさんは言います。「それまでの私は、自分ほど不幸な者はないと思い、病気をうらみ、両親を責め、生きること全部を否定していました。でも、城野先生のお話を聞いて、医師の治療を受けられることを幸せに思いました。両親をはじめ、多くの人々に育てられてきたことに感謝しました。そして、とにかく生かされているかぎり生きてみよう、と決心したんです」それから何事にも前向きに生きられるようになります。結婚式の司会はもう三十年も続けますし、詩も書いています。その詩のなかで「しあわせのかくしあじ」というのがあります。

 からいお塩は
 おいしい
 おしるこのかくしあじ
 
 からい
 くるしみ
 かなしみ
 そして
 わかれ
 
 みんな
 しあわせのかくしあじ
 ひとふり
 ふたふり
 
 ほら!
 
 しあわせが
 とっても
 おいしくなったでしょ

 ここまでくるのには、おそらく自分との壮烈な格闘があったことでしょう。しかしそれらを乗り越え、しあわせのかくしあじとして自らの病気を見られるようになります。私達も不幸から逃げ出したくなることがあります。しかしそれらの辛い苦しい人生こそが、しあわせのかくしあじといえないでしょうか。仏教の「煩悩即菩提」はこの事をさしているのだと思います。

『罪障功徳の体となる
 こほりとみづのごとくにて
 こほりおほきにみづおほし
 さはりおほきに徳おほし』(親鸞聖人・高僧和讃)
 【罪や障害は私が人生の喜びを感じられる本となる、氷が多ければ水が多くなるように苦しみ悲しみの多いことが人生をより豊かにしてくれる】

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