今月の法話 2011年6月

雨の日に香りは 強く感じ 苦しいときに 念仏は強く響く

 晴れているときに、色々な花の咲く庭に入ると、それぞれの花の香りが混ざり合って、どの花が香っているのか分からないことがあります。ところが、雨降る日に同じ庭に入ると、多くの花の香りは雨に落とされ、それらの香りを感じることが少なくなります。しかし、そのような中で、香りをより強くはっきりと感じさせる花もあります。
 私たちに常に働きかけているお念仏にも、同じことが言えます。
 私たちは生きていく上で、色々と多くのものが必要でありそれらを追い求めています。世の中を見わたすと、まずはお金。セレブ流行(正確にはセレブリティ。それを日本的解釈で表現します)で、お金持ちがもてはやされ、お金持ちになることが幸せという思い。他にも物・若さ・健康・地位・名誉等々。これらのことが自分にとって大切なものであり、幸せなこととして生きているのです。そうして、これらを手に入れている人を羨み、自分もこれらを手に入れることが幸福と信じて、朝から晩まで、あくせくあくせく動き回っているのが、私たちの姿ではないでしょうか。
 こういう中で、お念仏の教えをお聞かせ頂きながらも、なかなか自分に一番必要なものとは思えないでいるのが私たちかもしれません。
 しかし、生きる上で色々な幸せの手本を挙げられて、それらを追い求め、その幸せが実現されたとしても、誰もが感じずにはいられない忍び寄る不安。そう、いつか必ず来るであろう、その追い求めている幸せの崩壊・・・。
 これが有れば幸せと信じ追い求めていたものが、人生の究極においては全てを失い、何の意味も持たないものとなってしまうのです。究極の苦悩である死を前にして、生きる上での幸せは何の意味も持たない、雨に落とされた多くの花の香りと同じです。しかし、今思う幸せの崩壊を以ってしても、それを見越しての念仏なのです。そのとき、そんな私を必ず救うと働き続けるお念仏であったと感じずにはいられないでしょう。(※セレブについて:celebrity 名士の意)

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