今月の法話 2011年2月

私一人を生かすために あらゆるいのちが はたらいている

 世の中を見渡すと、自分は人の力を借りずに、何でも自分の力で生きてきた。と豪語する方がいらっしゃいます。そのようなお話をお伺いする度に、すごい方がいらっしゃるものだと感心するばかりですが、はたして、私たちは自分の力だけで生きられるものでしょうか。
 何年か前のことですが、「お金を払っているのだから、してもらったサービスにお礼など言わなくてもよい。」と主張する方がいらっしゃいました。確かに、経済のことだけを考えたならば、労働の対価としてお金を支払うのですから、お礼は必要ないかもしれません。
 しかし、してもらったサービスは、この私には出来ないものであるから、出来る人にしてもらっているのではないですか。お金が有っても、必要としているサービスの出来る方がいなければ、そのサービスを受けることは出来ません。
 また反対にサービスする腕前が有っても、そのサービスを受けたい人が無ければ、サービスを提供することは出来ませんね。
 お互いに必要とされる中で、お互いに「お陰様、有難う」という感謝の心を忘れてはならないと思います。
 ましてや、どれ程お金があっても、作物を育み育ててくださる方、お魚を取ってくださる方がいなければ、私たちはこの生を維持することも出来ません。そしてまた、作物を育む大地、その土地を作るミミズから微生物、魚を育む海や川、そこにある生きとし生きるものに到るまで、全てが関連しあって、今この私の命が在るのです。何一つこの私に関係ないものは無い。あらゆる命が私の命を支えてくれています。貴方がいるから私がいる。全てが在るから私が在るのです。これを知らされたなら、私から出てくるものは、ただただ「お陰様、有難う」の感謝の思いしかありません。

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