今月の法話 2009年10月

明日こそ 明日こそ 弁解しながら 過ぎて行く日々

 今月の法語カレンダーの言葉を見て、私は苦笑せずにはおれませんでした。この言葉はまさに私自身の生き方に他ならないからです。「朝には紅顔ありて
 夕には白骨となれる身なり」という、無常の理(ことわり)をお聞かせいただいておりながら、楽に生きたいおのれ自身の心に振りまわされて、今日すべきことを明日へ明日へと延ばしているお恥しい自分を、ただ恥じ入るばかりです。健康ゆえ無常の理(ことわり)がどこかで他人ごとなのです。「明日がある、明後日もある、来年もある」、と本心ではそう思っているのです。
 下級貴族の子息であった親鸞聖人(幼名を松若丸といいました)は、両親と幼くして死に別れました。生活に困窮していたであろう親鸞聖人は九歳でお得度されますが、その時の話が次のように伝えられています。得度のために青蓮院の慈円和尚のもとを訪れた時には、夜も更けていました。「もう遅いから明日に得度をしましょう」といった慈円和尚に、親鸞聖人は「明日ありと、想うこころの仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を詠まれたということです。「今、咲いている桜も、夜中の嵐で明日には散っているかもしれません。それと同じように、私の命も無常の世にあって明日がないかもしれません。どうぞ、今日のうちに得度させてください」という親鸞聖人の懇願に、慈円和尚はすぐに得度の儀式をとりはからったのでした。
 現代と違い、飢えや飢饉、病などで次々と人が死んでいく中世にあって、また、早々と両親と死別している親鸞聖人は、ことのほか「世は無常」との思いが強かったのでありましょう。この心情に、私達も心して学ばなければなりません。
 四十六歳の若さでガンのために亡くなられ、「癌告知のあとで~私の如是我聞~」という本を残された鈴木章子さんは、斜里町の真宗大谷派(お東)の寺院の坊守さんでした。阿弥陀さまの教えを通して、ガンと共に生きる人生は苦しいものでありながら、すばらしいものになるものだという事を私達に教えてくれています。
 鈴木章子さんは、亡くなる二ヶ月前に自宅で静養していました。ご主人が、「夜、眠ってしまって、知らないうちにお前が息をひきとるといけないから、同じ部屋で横に寝る」と言いました。章子さんは、「お父さんに、同じ部屋で休んでいただいても、いざというとき一緒に死んでいただくわけにもいかないし、代わって死んでいただくわけにもいかないし、死ぬことを延ばすわけにもいかない。それよりもお父さん、子供のためにも体を大事にしてほしいから、別の部屋で寝ましょう」といって、別々の部屋で寝たのです。その時の心情をつづった「おやすみなさい」という詩を紹介します。「お父さん、ありがとう。また明日会えるといいね」と手を振る。テレビを観ている顔をこちらに向けて「お母さん、ありがとう。また明日会えるといいね」と手を振ってくれる。今日は一日の充分が、胸いっぱいにあふれてくる。
 明日は再び会うことがかなわぬかもしれない。この「おやすみ」が今生でかわす最後の言葉になるかもしれない。ご夫婦は幾晩か、万感の思いを込めて「おやすみ」と挨拶を交わしたことでしょう。
 明日がないかもしれないのは、ガンを患った方だけのことではありません。明日をも知れぬいのちを生きているお互いです。一日一日を、生かされている喜びを感じながら生きてまいりたいものです。
 「いつまでも生きていたいと、百歳まで生きてもその人は若死にである。いつ死んでもいいと今日一日を喜んで生きる人は、いつ死んでもいのちをまっとうした人である」。石川県の念仏者である藤原鉄乗師の言葉です。

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