今月の法話 2009年8月

『世は無常』亡き人が残した 最後の教え

 又、今年もお盆の季節がやってまいりました。毎年のことながら、家族そろって、お墓参りなど、ご先祖を偲ぶ日本人の美しい習慣なのかもしれませんね。近頃はさっさとお盆参りをすませて、後はゆっくりと遊び歩くようなこともよく行われているようですが・・・。
 亡き人との関係を断ち切るようなことを平気でされる方も数多くおられます。死者を忌まわしいもの、不吉なものとして排除しようというのです。
 塩をまいたり、故人の茶わんを割ったり、屏風を逆さにしたり、普段とは逆のことをしようとしたりします。これは死者を忌み嫌い、不浄なものとして避けることからきています。
 死は吉凶とか浄、不浄とかで語るものではありません。死は自然の摂理として受け止めていくべきなのです。私たちの迷いとは、その摂理を素直に受け止められないところから、来ているのです。一九一二年イギリスの豪華客船タイタニック号は処女航海の途中氷山に激突して千五百人の死者をだす史上最大の海難事故を起こしました。。映画でも、小説でも、悲劇のドラマとして語り継がれています。NHKで数年前に放映された「タイタニックー極限の人間ドラマ」では次のようなことが語られています。《タイタニック号は深夜に突然氷山に激突して大きな爆発と共に沈没した。その時に救命ボートには子供や、女性を優先して乗せた。救命ボートは助けられるまでその場に居合わせた。そのためにボートに乗っている人々は船と共に沈んでいく夫や父親の苦しみながら死んでいく声をなすすべもなく聞き続けなければならなかった。引き上げられた遺体の検死結果によれば死因は凍死か、窒息死だった。窒息と言っても溺死ではない、寒いために喉だけで呼吸しようとしたからだった。船から飛び降りて泳いでボートに乗った人々も殆どが寒さのために凍え死んでしまった。夜明けと共にカルパチア号に救助されようやくその場を離れることが出来た。しかし苦しみながら死んでいった夫や父親のうめき声は生涯忘れることがなかった。自分だけが助かった事、夫や父親を助ける事が出来なかった罪悪感は、生涯助かった人たちを苦しめることになったのである。》そうしてこの番組では最後に次のようにまとめています。「亡くなった人たちを語り継いでいくことは、亡くなった人たちに敬意をはらうことである」と。
 過去を、いや亡くなった人を忘れずに生きることが過去の苦しみを和らげ現在を生きる力につながっていくということです。死者を葬るとか、忘れるのではなく「死者とともに生きる」ことを学ぶことが、今の私の生きる原動力にはなってはきませんでしょうか。私は親を亡くし、初めて親と真に語り合えるように思えるのです。お互いが生きているときには意地やらテレやら、色々なモものが混ざり合い本音で語れないことがあります。しかし姿、形が見えなくなって本当の親子になれたと思っています。亡き人と語ってみませんか。大切な方を失いつつ見えてくるものを大切にしませんか。亡き人がいのちをかけて残した教えを、平生忙がしいと言い訳し、忘れ去られている声に今年のお盆はそっと耳を傾けてみませんか。


※これまでのこの法語の解説を執筆されていたU師が7月15日往生された 。7月の解説が最後になってしまい、今月の法語が何か切なくてならない。長い間のU師の解説に感謝するばかりである。まさに残された教えを残された我々がどう生きるかを問われているように思えてならない。南無阿弥陀仏 合掌するばかり。

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