今月の法話 平成30年7月

「ありがとう」と言いながら あたりまえに生きている私

仏教の教えに十悪(10種の悪い行為)というものがあります。
1、殺生(生き物を殺す)
2、偸盗(ぬすみ)
3、邪婬(よこしまな性の交わり)
4、妄語(うそ・いつわり)
5、両舌(人を仲たがいさせる言葉)
6、悪口(ののしりの言葉、あらあらしい言葉)
7、綺語(まことのないかざった言葉)
8、貪欲(むさぼり・我欲)
9、瞋恚(いかり)
10、愚痴(おろかさ・真理に対する無知)

このうち1〜3までは身に行う身業、4〜7までが口に言う口業、8〜10までが心に思う意業です。ここで注目したいのが身・口・意の3つのうち十悪の中には口に関するもの4つあり一番多いことです。つまり私たちは日常生活の中で人に対して言葉には十分気をつけて過ごさねばならないということを意味しています。

口先では有難うと言いながら、心の中では当たり前と思いながら生活している私がいます。十悪の中で言うと妄語や綺語になるでしょう。

「卑下慢(ひげまん)」という言葉があります。仏教では、私達の自惚(うぬぼ)れの心を『慢』といいます。自他を比較して、自己が他人よりもすぐれているとおごりたかぶる心を7つにわけて、七慢といわれますが、「卑下慢」はその中の1つです。

卑下しながら自惚れるこの「卑下慢」とはどういうことでしょうか。

「わたしほど、愚かで悪い人間はおりません」と頭を下げている時に生じる、自惚れの心です。「私がやりました。私が悪いのです」と自らのミスを相手に謝罪した時に心の中で同時に出てくるのが「どうだ!自分の非を認めることのできる私のような謙虚な人間は私以外にいないだろう!」と、心の中でニンマリしています。

また、仕事でトラブルが発生しその責任を上司から追求された場合、(絶対にあの人の責任だ…)(もしかしたら自分にも責任があるかもしれない…)こんな時、皆さんならどのように対応しますか。

自分を棚に上げて、人に責任を押し付ける人が多い中、「すみません!私のミスです」と潔く自分にトラブルの責任を認めるのはとても勇気のいることで、なかなかできることではありません。しかしこのように謝罪する時に、子事の中で同時に出てくるのが「こうして責任を素直に認め、謝罪できる自分はとても偉い!」「こんなことはなかなか誰にでもできることでない!」という心の言葉です。謝罪しても自分が他の人より優れていると驕り高ぶる心を持っていては本来の謝罪にはなりません。

このように本来良いことだと思われている謙虚さも心の持ちようによっては実は自惚れの元になる、これを『卑下慢』といいます。

「ありがとう!」と口先では言いながら、相手から受けた行為を当たり前のように思って生きている、そんな私がいませんか?



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